私が人の心に寄り添うカウンセラーなのか!

【私がカウンセリングを始めようと思ったきっかけ】

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今から、22年前、私は3人の幼い娘を抱えて離婚をしました。

私は、小さい頃から人の心にしか興味がない子どもでした。
姉と二人姉妹 姉が大好きだったのに、なぜか姉は意地悪な人でした。
母は、自分の思い通りにならないと叩いたり怒ったり無視をする人でした。

私が小学生の時も遊びたいお友達と遊んではいけない!と言い
遊び友達も母が決めるような環境でした。

それでも、私は友達と遊びたくて母に嘘をついて遊んだりしていると
日記や手紙を読み 親に嘘をつくと怒られていました。

唯一、父だけは私の味方で家庭の中で居心地が悪い私は
なんとか過ごせていたように思います。

そんな私も、やがて中学になり好きな人が出来て付き合う事になりました。
そんな時、私は自分の愛情の歪みに気づくのです。

大好きな人なのに、不安や嫉妬、独占欲が強い自分に驚くと同時に
気持ちを上手くコントロール出来なかったのです。
彼が他の女性と話すだけで悲しくなったり彼に嫌われたのではないかと
思えば、自分から別れようと言っては、なんでそんな事を言うんだ
そう止めて欲しくて、愛情をはかってみたりしていました。

そんな私の初恋は、1年半で終わってしまいました。

家庭の中でも居場所を感じられずいつも自分の居場所を探していたように
思います。

姉が結婚し、父が癌で他界。

悲しみや苦しみの中、私は好きな人が出来たら精神が不安定になる事を
知りました。

私は、自分が好きな人じゃなく相手が私を大好きな人といる事で心が安定するんだ
と思い、結婚は、まさに私はたいして好きじゃないけど相手が私を大好きな人と
24歳の時に結婚をしたのです。

年子が生まれてから夫からの暴力を受け始めていきました。
顎の骨が折れて入院したり、首を絞められたり頭を湯船に沈められたり
何度か命を落としかけましたが、専業主婦の私には離婚する勇気はなく
3人目の娘を出産し生活を続けていました。

この頃から、自立神経が乱れ始め病院に通うようになったのです。
心療内科の先生からは、過度なストレスが原因だと言われましたが
自分でも、何がストレスなのかすらわからなくなっていました。

阪神淡路大震災に見舞われ私達5人家族は、実家に身をよせ母と私達5人の
生活が始まっていき、ますます生きづらさを感じるようになっていきました。

ある時、元夫がリビングのガラス戸を素手で殴るという大惨事を起こした事を期に
離婚を決意し始めて母に殴られてきた話しをしました。

母から出た言葉!
それは、殴られても耐えなさい。あんたが悪いから殴られるんでしょ
マスオさん状態のあの人が出て行ったら私が追い出しと思われる。
離婚するならあんたも3人の娘連れてこの家を出て行って!

自立神経失調症の私は一気にパニック障害になっていきました。

不安や恐怖で安定剤や睡眠薬が手放せなくなり薬依存、自殺衝動にかられる日々でした。
このままでは、自殺したくなくても自殺してしまう。
そう思った私は、薬を辞めて残った薬をお守りにし、最後はこれを飲んだらいい
それを安心感に変えて、いろんな本を読み自らの思考を変えていきました。

長く、苦しい時期でしたが、思考を変えて全てを克服したのです。

そんな経験を持つ私だからこそ、カウンセラーになりたいと思いました。

診療内科に通っても、薬を出さるだけで私の話しは聞いてもらえない。
心に寄り添ってくれる人は、誰もいませんでした。

こんな思いをしてきたのは、私だけじゃないはず。
同じような苦しみを持つ方の心に寄り添っていけるカウンセラーになりたい。

それが私のカウンセリングを始めるきっかけとなりました。

一人ひとり、育った環境も体験も違います。

あなたの胸の内を安心して開いていただけるように
寄り添いながら、お話しを聞かせていただきます。

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