あたしの大学生活サマリー
9/13に卒業式があったので、めでたく大学生生活が終了。これから4月まで、フリーターとして自由気ままに生きていくことになる。
私の大学生活サマリー執筆目的:記憶が薄れないうちに記録しておこうと思った。
特に就職直前とかでもないんで、今、時期ごとにパッと思いついたことをダラダラ書き綴った感じになってます。暇だったらどうぞ
大学一年生
2020 春学期 1セメスター
大学生初めの思い出を挙げるとするならば、まずは入学式、入寮がコロナによって無くなった。大分県の森入口駅を通って大学に通うはずだったのに、無駄に広い私の部屋でオンライン授業を受ける毎日。今振り返ると、当時はあまり意識してなかったけど、遠方はるばる別府市の大学を選んだのは若干実家にいたくないのもあったのもかも、と思う。
秋に大学受験が終わり、一人暮らしをするためにバイト代を溜めたお金で、switchか、電子ドラムのどちらかを買うか真剣に迷い、電子ドラムを購入した。switchは今でも迷っているまま
高校時代は吹奏楽部で打楽器を担当していて、ドラムが1番好きだった。だから大学ではドラムをもっとやりたいと思って大学内の音楽サークルをYouTubeで漁っていたら私がやりたかった音楽性にぴったりのサークルを発見した。迷うことなく入り、週一回zoomで先輩たちが交流会?を開いていて、ラジオ感覚で聴くのがコロナ禍での唯一と言っていいくらいの楽しみだった。そこで出会った同期は大学生活の多くの時間を共に過ごすことになっっから、参加して本当に良かった。この時、特に趣味があるわけでもなかったし、時間の潰し方が今よりも得意じゃなく正直とにかく暇だったから色々なことに顔を出してみた。当時日本語教師になりたかった私は日本語学習サークルにも熱心に参加したり、オンライン入学式の運営メンバーになってみたりした。
秋学期 2セメスター
大学の寮にようやく入ることができた。と言っても、コロナの”おかげで”最大の特徴である国際寮というユニークさは一ミリもなく、強いて言えば関西人が多いフロアで、関西人と仲良くなった。というか、関西人が多すぎて標準語を話すフロアメイトにも関西弁がうつっていて、関西にいるみたいだった。
部屋では何もせずじっとしているのがしんどいタイプで、展望台まで友達と歩いたり、4回生6人・2回生1人・1回生の私 みたいな緊張で味のしない飲み会に行ってみたり、同期とサークルの発表会?の練習で集まったり、動物園に行ったり、激安の魚を入手して調理したり、カレー作ったり、温泉に行ったり、
大学生活がこの辺から始まった気がする。
やっぱりコロナで暇だし、音楽がもっとしたいからこの音楽サークルで出会った子とバンドを結成した。バンドメンバーは2人とも渋くて背が高くてかっこいい系だったので、「高校生までの私だったら関わることなかっただろうな、けどめっちゃいい奴だし、趣味合うな。」と思ったのを覚えてる
大学二年生
2021 春学期 3セメスター
サークルでバンドをやっている先輩がライブに誘ってくれて、秋に組んだバンドでライブをした。1週間前になっても予定の半分くらいしか曲が完成してなくてかなり焦った。当日は初ライブにも関わらず人が集まってくれて、そこにかかっているお金の量を考えて、もっとこの楽器うまくならないと。と思った。あと、先輩バンドマンが怖すぎて、打ち上げではコミュ障を我がバンド全員で発揮して、3人で大盛りペヤングをゆっくり食べてその場をやり過ごした。それからは、1ヶ月単位くらいでライブをやることになって、バンドマンらしくスタジオ代や楽器にお金を溶かし、常に金欠だった。このバンドでは打ち上げにはもう一回行ってみて、無事にコミュ障を発揮したのでもう行か(け)なくなった。
あと、この頃くらいに日本語学習サークルの代表になって、けど幹部の日本人1人と早々に連絡が取れなくなり、私1人で毎週のトピックを企画して進行していて、組織って難しいなと思った。
2021 秋学期 4セメスター
春学期はずっとバンドばっかりで、少しは勉強をしようと思った。インドネシア語を初めてみたり、日本語教師になるための勉強ができる学校?に入学してみたりした。この入学には結構な金額をかけたので、放心状態で上を見ながら歩いていたのか、帰りの月がすごく綺麗だったことを覚えている。
あと、音楽サークルの副代表になったのも多分この時期。
あれ、来年の私大変すぎるんじゃない?ま、オンラインとかもあるだろうし、いけるだろ。と、やりたいことを何もやめないという決断をしたのもこの時期。浅はかです。
大学三年生
2022春学期 5セメスター
5月くらいに日本語学習サークルでようやく対面のイベントができて、やっと想い描いていた大学生活を実現できた気がして嬉しかった。
授業が対面になったり、サークルを二つ掛け持ちしていたものがどっちも代表になることになったためよく知らん活動の指揮をとることになったり、バンドも1番活動が活発だった。けど、この時期はノルマが厳しくて望んでいるような活動ができていなくて、ライブハウスに操作されている感じがしてバンドとしても苦しい時期だった。日本語教師の勉強もしていたし、留学の申請、もし留学がダメだった時用に就活、後ゼミにも入っていた。思い出すだけでも忙殺される勢いでTo Do を永遠に消化するだけで毎日がすぎていった。常に何かに追われていて不安感が付き纏っていた。充実してるはずなのに段々何も面白く感じなくなって、何にも興味を持てなくなって、倦怠感が常にあって朝も起きれず、判断力も思考力も低下していった。人間関係もごちゃごちゃして正に最悪だった。先輩たちと解散してカフェテリアを出ると足が鉛のように重くなって歩けなくなり訳もわからず、ただただ涙が止まらなくなって蹲ったり、スタジオに向かう別府大学駅でなんかもうどうでも良くなってこのまま飛び込めば、、と考えている自分に気づきその場で精神科の病院に電話をしまくった。けどどの病院にも「今は新規の患者は受け付けていないんです」と言われて「じゃあ死ねってこと?」って思った。結局どうにか全部やり抜いて、生き抜いた私本当に偉い
2022 秋学期 6セメスター
秋学期は春と環境を変えた。
サークルを二つとも辞めた。ゼミも抜けた。日本語教師の勉強を終わらせた。無事に留学に行けることが決定し、就活も辞めた。バンドも解散した。仲のいい友人がほとんどこの時期に留学していて、この時は1人時間を充実できるようにすることが目標だった。
1人でただ時間があるだけだと、ネガティブ思考迷路にはまってしまうから、この頃からコーヒー淹れるようになったり、読書したり、映画見たり、散歩したり、写真を撮ったり、ギター買ったり、自分は何がしたいのか、何が好きなのか色々試す時間にした。冬くらいにギターボーカルとやっぱりバンドやりたくない?と話して新しいベースのメンバーを探し始めたのもこの時期だった。
春休みは留学の研修があって、1ヶ月また国際寮に住んだ。ここでの出会いが本当に良かった。同期と言っても20歳から67歳まで同じ立場で研修を受けて、同じ立場で派遣されることになる。だからフラットに関わることができた。就職した先に自由なんてないんだろうなと考えていたけど、人生の先輩様たちが人生を変えよう、学ぼう、楽しもうとしている姿を間近で見るのは刺激的だった。歳を取ってもいつまでも自分の人生を自分で楽しくできるように努力し、躊躇せず飛び込んでいく勇気を持ち続けていきたいと強く思った。
2023春 休学
私マルチタスク無理ぽよ、、と5セメスターで痛感したので就活と留学は絶対に同時にしないぞ、と決めていた。なので、オーストラリアに友達と行くということ以外、特にやることも予定もない休学期間をいただいた。新しいバンドの練習、本番とリゾートバイトの行き来して、たまにアイスクリームを食べる。みたいな生活を永遠にしていて、かなりのんびりした生活をしていた。途中からホテルの駐車場のスタッフが飛び、駐車場のスタッフとして一生懸命Netflixを鑑賞したり、大分の音楽フェスのサポートスタッフとして入ったものの役割分担されたところに何も仕事がなくて、おじさんたちに買ってもらった屋台飯を消化するという大きな役割を果たしたりすることでお金を稼いでみたりした。そのお金で、大分から広島に寄って、東京でメイドカフェに行って、帰省した。そして夏はFUJI ROC K FESTIVALのバイトとして鎌倉>新潟に行ったりした。夏フェスって当たり前にお客さんが無限にいるので、7時から勤務がスタートしたら19時までお客さんが途切れず、しかも人手不足のためサービス残業で21時まで猛暑の中働き倒した。2度といきたくないし、人生で1番体力的にきつい1週間だったけど、Cory WongたちとThe Strokesを観れたのは人生のハイライト。
2023 秋 7セメスター
ようやくインドネシアに来た。このパートは別で書き残そうかな
12月後半に帰国して、インドネシア生活で生み出したお金で1月にアメリカメキシコ旅行に行った。ボーナスマネーアンドマネーやーん⭐︎と思ったけど、アメリカの物価が高すぎて、カップラーメンや米を友人とリュックに詰めまくって出国し、空港で当たり前に寝たり、合間にお金稼ぎをしたり、相当ギリギリな旅をした。めちゃくちゃたのしかった。アメリカは有名どころは結構まわらせてもらったような気がして、もう来ることはないんだろうなと思った。
2月くらいからようやくそういえば就活って何だっけ、と思い出して、ベッドで説明会聞いたり、とりあえず選考を受けてみたりした。
3月はライブの準備をしたり、なんとなくこういう会社に行きたいなーというのが決まったので、それに沿ってES 書いて、出して、面接して、というのを繰り返す生活だった。あと、本気で温泉名人を目指し始めた。
2024春 8セメスター
4月からはちゃんと就活をしていたと思っていて、けど就活って受験勉強よりかは根詰めてやるものでもないからそれなりに遊んだ。原付を買って友達と花畑や滝を見に行ったり、学校のついでに温泉名人への道をさらに歩んでみたりした。
5月はアメリカから私の大学に短期留学できている子たちのバディ活動が始まった。就活でイベントに参加できなかったので、空いてる時間に亀正に誘った。みんないい子で安心して楽しくて良かったーと思っていた矢先に、帰りの原付でナビをしていてくれたスマホ君を落として、スマホが後続車に轢かれた。おかげでその日のあの子たちの可愛い写真は消えたけど、まあ私が轢かれなかったからOK
5月末くらいにもう就活だるいなー、と完全に集中力が切れたところで、内定が出て本当に助かった。おかげで、温泉名人道に集中し、タイに旅行とかもできた。バディ活動に集中することができるようになった。それまでは全イベント欠席していて、まじすまねえ、という感じだったけど、ここからは全イベント、授業に皆勤賞で行ったので許してくださいな
6月、7月はインドネシア語の授業でケーキを食べたり、唐揚げ食べたり、アクティビティするのを楽しみに大学に通った。それ以外の時間はバンド、バディたちと九州で遊びまくり、温泉名人(n回目)になるために努力した。あと引っ越し作業頑張ったあああ
8月はバディ君と韓国旅行に行って、文字通り人生最高の時間を過ごした。解散時は控えめに言ってもリアルに胸が張り裂けるかと思うくらいしんどかったがギリギリ生き延びた
8月中旬はまたリゾートバイトに来た。島に来ているので、娯楽がない。
スタジオは島の外にあり、楽器にさわれないフラストレーションで、筋トレを始めたり、勉強習慣を手に入れた。普通に良い状況である
ちな今年6キロの減量に成功していて、健康まっしぐらだぜベイベー
9月初旬
内定者たちと会う機会があり、みんな優しいし、活動的な人たちで烏滸がましいですがちょっと自分に似ているところもありそうな方達が沢山いて、安心した。
卒業式は旅費が高すぎ、と思ったし、秋卒の友達が圧倒的に少ないので春に行くことにした。けど、当日は卒業おめでとうって言ってくれる人が沢山いて、四年前の自分からは想像もつかないような経験がたくさんできたし、恵まれた人と環境の中で時間を過ごすことができたんだなと実感した。運が良かったのもあるけど、それを引き寄せたのは絶対に自分の行動だから、自信を持ってこれからも努力を続けるべきだと思った。
とりあえずここまで。
読んでくれた人いたらありがちょ
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