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『Wintermute,dawn』の感想と見せかけて芹沢あさひに抱いているクソデカ感情を少しだけ綴るオタク

Wintermute,dawn読了。ストレイのコミュはシャニマス全体を見てもかなり好きな部類なので楽しみにしていました。簡潔にいきます。


船主の女性とあさひのクラスメイトの対比や各P-SSRコミュとのリンク、コンパスのくだり、そして『息切れ』に頭を悩ませていたあさひがステージにて冬優子と愛依の姿を見て大きく息を吸い込む瞬間のカタルシスなど、見どころは沢山ありました。しかしまぁ月並みな感想を書くのもアレなので、この機会に今回のイベコミュを踏まえて私が芹沢あさひに抱く感情を、少しだけ文字に起こそうと思います。


芹沢あさひという存在は、世界に光をもたらす。しかし、光ある所に影あり。好奇心の赴くままにワクワクを追いかけるその自由な生き様は、時に歪みを生んでしまう。なぜなら、自由には責任が伴うから。そしてその歪みとやらは、様々に形を変え彼女の身に降りかかる。これは芹沢あさひが芹沢あさひとして生きていく上で避けられない宿命であり、原罪とも言えるだろう。

今回のシナリオで特筆すべきは、この『歪み』を重力と称し、コンテンポラリーダンスとリンクさせ描いた点である。ダンス講師から示された『選択する』という解は、単なるレッスンにおける指導の枠を超え、あさひの人生の指針となっていくに違いない。

『大木も最初は一粒の種子なのだ。そこから茎が伸び幹となる。木の成長はゆっくりだが、重力に耐え抜き空へと伸びゆく。』

サン=テグジュペリ


芹沢あさひという大きすぎる質量を持った若木は、この先も自身に降りかかる『重い』に対する選択を迫られる。『おもい』は時に『想い』でもあるということも、いずれ理解する日が来るかもしれない。そうして彼女は生き、空へ向かって枝を伸ばしてゆく。リズミカルに、優美に、そして何よりも自由に。僕はそんな彼女に、添え木をしよう。水をやろう。虫を払おう。たまには木陰で休ませておくれよ。

芹沢あさひを天才という言葉で片付けるのは簡単だ。だからこそ私はその行為を否定したい。彼女もまた、普通の女の子なのだから。葛藤するし、壁にぶつかるし、涙だって流す。誰よりも純粋な魂を持って生まれたこの少女は、誰よりもこの世界で重みを抱えることだろう。だから彼女が自分の力でその重みを取捨選択出来るようになるまでの少しの間、そばにいさせて欲しいんだ。

果たして彼女が大木として完成を迎える刻、眼前に広がるは大海原。もう僕のことなんて見えなくなっているかもしれないね。芹沢あさひ、空の青さを知る者よ。やがて、海の広さを知る者よ。僕は知っている。その手がいつの日か、星に届くんだってことを。

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