基本的にHappy

ある方がこんなことを書いていました。

「どうなったらHappyなの?」と聞いて、

『こうなりたい!!でも、、』

と「でも、、」がつくHappyの類は自己防衛に過ぎない、と。

こんなご時世に、こんなことを書くのは一瞬戸惑いましたが

でも、考えてもやっぱりここにたどり着く。


私は「基本いつもHappyなんだ」ってこと。


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こう書くと「平和ボケか!そこまでウイルスが来てるかもしれないって時に」

って思われるかもしれない。

そんなことはわたしも知っています。

でも、でも、それでも

わたしは幸せなんです。


誰かが私を止める。

「本当に幸せなの?まだまだ得れるものがあるんじゃない?その程度で幸せって言っていいわけ?」

「幸せです!って言い切っちゃったら、もう誰も心配してくれなくなるかも。かまってもらえなくなるかも。」

「世界には大変な思いしてる人がいるのに、幸せなんて言っちゃダメでしょ。」


私を止める誰かさんは、誰でもいいとして

(きっとこれまでの経験の中で怒られたことや納得いかなかったことを守っているだけね。)

本当にそうかなと考えてみる。




不安はほとんどが目に見えないことが多いです。

その不安によって動けるものが動けなくなったりする。

もちろんそうやって守るべきものも、たくさんあります。

でも、不安で今、目の前にあるものすら見えなくなっていないかな。

確認しようよ。


不安に飲み込まれそうになった時、私は感覚を信じるようにします。

息をして、皮膚で風を感じる。

ご飯を味わってみる。

すぐそこまで来ている春の匂いを嗅いでみる。

そうしたら、ちゃんと「ある」ことが分かる。

今日わたしは、朝日を浴びて起きた。

ご飯もあったし、服もある。

「仕事」という行く場所がある。やることがある。

目の前にいる子どもたちは、いつものように遊び、動いている。

そう、目の前には何も起こっていない。


「私は幸せです」


って、言っていいんだよ?いや、むしろ言おうよ。笑

こんな時だからこそ、自分は幸せなんだってことを思い出そう。

幸せに条件はいらない。

私は幸せだよ!って言ったら嫌われる?怒られる?

「あなたは幸せだから、私がいなくても大丈夫ね」

って離れていかれる?

(大丈夫です。離れていかれたら、そういうご縁でしかなかった。相手も構ってあげたい鎖で繋いでいただけ。)

条件のない幸せは、幸せしか連れてこないから大丈夫だよ。


こんな今だからこそ、自分は幸せだと、ちゃんと感じよう。

あるものを、ちゃんと感じてあげよう。

幸せでいいんです、

誰も損しないよ。誰も傷つけない。

幸せで、いようね。




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