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君たちはどう生きるか

打ち上げ花火を見た。片道を高速道路で1時間半以上の距離を走って、10分の花火を見た。湖畔に反射しては消える。豪奢に空に咲いたのに嫋やかに消えていく花火は、夏そのものだった。

「触らないで、まだ残っているものがあるから」

映画を観た。「君たちはどう生きるか」を、ノイズキャンセリング機能付きヘッドフォンをつけてポップコーンLサイズを握りしめた。聴覚過敏の私が2時間座っているための磐石の布陣を組んで。結果は最高だった。大きな音がしても、周りが小声で喋っても、何も関係ない。大好きなポップコーンは飽きたころに無くなった。
眞人(主人公)が抱える孤独とか、戦時中の日本の苦境とかに、きちんとのめり込むことができた。ノイズキャンセリングヘッドフォンとポップコーン。これだ…!という感動を胸に退場した。私はどう生きるか、その答えを得た。

というのは置いておいて
観ていない人もいるかもしれないからかなり大雑把に話すけど、終盤で色々な要素(解釈は観てから話し合おう)を含む石が砕ける描写がある。それに触ろうとする眞人にヒミという登場人物が「触らないで、まだ残っているものがあるから」と言うのだ。私的にはこの言葉、大好きだった。

世の中の理の多くは触れてしまったがゆえにダメになってしまうことが多い。そっとしておけばいいのに、わたしたちは我慢できない。

結局どう生きたいか

口を挟まず、手を出さず。見守ることができればもっと空高く劇中の石塔は積み上がる。
だけど自分が支えられる範囲を出てしまったら。その難しさの表現も丁寧にされていた。他人の石に手を出せば均衡を保つどころではなくて、なし崩しだということも確実に描かれていた。

私もだいぶ良い大人になって、周りは結婚したり仕事が楽しくなったりする年になった。その状況でまだ学校に通っている独り身としては、「どう生きるか」と言われるとぐっと息が詰まるのが本音である。まあそう言いつつも、他人は他人で、ゆっくりと人生を自分で建てていければ良いなとも思っている。私には私の人生がある。当たらず触らず、それなりに歯を食いしばってまいりたい。

手持ち花火を横に座って見るように

たぶん宮崎駿監督が発していたメッセージとは違う自己完結に私は至ってしまったと思うけど、それもまたそれだと思って許してほしい。
自分の手中じゃなくて手持ち花火する人の横に座って見たことがある人ならわかるんじゃないだろうか。側面を垣間見たいと思う気持ちもまたアリだとしてほしい。

秋がくる

久しぶりにつらつらと書いたら、なんだかほんとうに何が言いたいのか分からなくなってしまいました。私の夏そのものです。
ここまで読んでくれてありがとう

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