noteを書けない日が続いたって焦らなくていい。
こんばんは。約1ヶ月ぶりとなりました。円井零です。
今日、ふと気が付きました。「noteを書けない日が続いたって焦らなくていい」と。
6月27日に1本。その次が8月1日。次が8月21日。そして今日、9月19日。
大体1ヶ月に1本ペースが続いています。
noteに上がるのは月1本。でも私の心の中では、毎日とはいかないまでも、週に2、3度、「あぁ、書かなきゃ」と思っていました。
別に「毎日上げよう!」と決めて始めたわけではありません。
でも最初のうちは、なぜだかどんどん書けて、毎日上げていました。
そんな経験があったから、「今ももっと書けるはず」「上げなくちゃ」と、ちょっぴりネガティブな感情がありました。
確かに、7月、8月は、書きたいことがたくさんあるのに書けない状態、いわばスランプでした。
その跡が、noteの下書きにたくさん残っています。
書き始めてみるものの、続かない、終わらせられない。またイチから書き始めてしまう。そのループ。
「書きたい、書きたい!」という思いばかりが募るものの、うまく歯車が回せないような感じでした。
結果、「やっぱり自分は書く能力がないんだ」と、諦めモードに入ってしまいました。
でも諦める、というのは、悪い事のようで、そうとも限らないものです。
うろ覚えで恐縮ですが、仏教で「諦める」というと、本来「明らかにする」という意味、というのをいつか聞きました。
諦めることで、明らかになる、それまで見えなかったものが見えることもあるのです。
書く能力がない、と諦めてしまった私は、そこからnoteのことを意識する頻度がぐんと減りました。
「書かなきゃ」と切羽詰まることも、「書きたい」と思うことも少なくなり、ある意味、noteへの思いがフラットに。
そして今日、はたと気がついたのです。
「確かにnoteは書けていないけれど、今それなりに充実してるんでは?」
前の記事でも触れましたが、8月から本を読み始めました。
1年で1冊も本を読まなかった(読めなかった)私が、本屋で本を買い、何年ぶりかに図書館で本を借り。
積み上げた本を時に大雑把ながらも少しずつ、読み進めているのです。
また、改めてボードゲームにハマりつつあり、友人とボードゲームをする日を決めてワクワクしたり、ボードゲームの紹介動画を見てやりたくなったり。
近いうちにボドゲカフェにまた行ってみたいな、と思ったり。水道橋のジェリージェリーカフェさんが閉店してマーダーミステリー系専門になると聞いて、挑戦してみたいと思ったり。
あるいは、来年の手帳を初めてほぼ日手帳にしてみようと思い立ち、ネットストアで購入、届くのを待ちながら、『ほぼ日手帳公式ガイドブック2021』を読んで、「あぁ、こういう風に手帳を使うという方法もあったのか」と感心したり。
あとペンの沼にハマってみようと考えたり、「ナレッジキング決定戦」のために『ONE PIECE』を読み返していたり……そう、簡単には書ききれないほど、私は今ワクワクしていて、それなりに充実しているのです。
100%ハッピー! とはいかないけれど、やりたいことがあって、それを少しずつでもやれている。それが私は楽しいと感じている。
そのやりたいことで私はとっても忙しい!
それに気づいたら、別に無理にnoteを書かなければ、と思う必要はないんだなぁ、という考えに至ったのです。
書けない日が続いているのは、書くことより他のことで忙しいから。
私のnoteは生活の糧でも、スキルアップのためでもない。
「好きなものを好きなように」「自分にとってポジティブな、宝物のようなnote」
これが私のnoteです。
だからきっと、今やりたいこと、好きなことをすることによって、いつかそれをnoteに書きたい日が来る。
書けなくなったのは、単純に体の調子が悪くて頭が回らなかっただけのことだと今なら思います(定期的に頭がボーッとする時期が来る)。
だから、まぁ、もっとのほほんと、構えていればいいんじゃないかなぁ。と、自分に言いたい。
焦らなくていい。だってnoteは逃げないから。
と、まぁ、書き手の私はそんなふうに思うのです。いつか多くの読み手がつく日が来るなんてことがあるかはわかりませんが、まぁその時はその時で。
p.s.仕事がハードでクタクタになった日ほど、noteを上げられる気がする。疲れて「こうあるべき!」というストッパーが外れるのでしょうか……。
円井 零
基本的に、お気軽に読んでいただければ、と思っています。 それでもサポートしていただいたお金は、好きなもののために使わせていただきます! 今欲しいものは……ボドゲの『キャンバス』