綺麗な想い出のままで
私、家族と友達が、大好きなんだ。
すっごく、大好きなんだ。
私にとっては、私の周りの人の存在こそが"この人生"の意味なんだ。
私は自分の中の感情の起伏が激しいし、
すぐ病むよ。でもそんな時間も愛しくて大好きなんだ。
極論、生きる意味なんてない人生の中で、
大好きな人が存在していること、
そんな人に囲まれて感情が動くこと、
それがとってもかけがえがなくて、
だからこそ、この人生を愛せているんだ。
私が人にどんな仕打ちをされても許せてしまうのは、
その人が明日死んだら、自分のその決断に、感情に、行動に、
絶対後悔するのが分かりきってるから。
それに尽きるんだよね。
どんな人間でも、どんな仕打ちをされても、
明日死ぬなんてことがあったら、なんで優しく出来なかったんだろうって、後悔するでしょ?
明日自分が死ぬことは全く怖くないんだ。
残されて、後悔と共に生きることが、怖い。
私の中の「人にされる」「仕打ち」ってなんだろう?
って考えると、
例外なく、『嘘をつかれること』なんだって、今、気がついた。
どんなに世間的に許されなくても、最低と言われても、
私はどうだっていいよ。あなたの方が大切だから。
でも、私にも嘘をついてたんだ、って気付いてしまうと、
本当のことを言ってくれても、協力するのに。
その気持ちと姿勢は常に伝えているはずなのに。
どうして私にも嘘をつくの?
そう思うと感情がどーんと落ちてしまう。
「お金かして」
って言われても
「なんで?」って理由を聞く前に
『いいよ』って先に言うようにしてるよ。
「なんで?」に自分のお財布事情の気持ちが乗ってしまったら、あなたが理由を言いづらくなるかもしれないから。
「お金かして」より
「やっぱいいや」って、そのあとどうなるかわからない方が怖いから。
そういうのを繰り返してきても、
でも私はあなたが死ぬことが、私の人生から消えてしまうことの方が怖いから。
だから、私は大切な人がいつ死んでも基本的には後悔がない行動をしているつもり。
なんて、ここまでの話を両親を若くして亡くしている友人にしたら
生きてるだけでいいじゃんって。
そりゃあ、そうだよ。
私も、まだ大切な人を失ったことがないし、
みんな生きていてくれることが嬉しい。
とっても嬉しいよ、だから人生が楽しいよ。
でも、私はたびたび、自分のキャパを超えそうな人のことも
私その人のこと、だーいすきなんだ、その人も私のこと好きなの。って言って回るの。
一種の確認作業なんだよね。
洗脳活動なんだよね。
生きてるだけいいよ。
生きてる人に、嫌だ、嫌いって言えたらいいよね。
やっぱり、そんな生きてる人だから、
私の感情に起伏をくれるんだもんね。
愛されてるって、自分が思えば、それは事実愛されてるんだもん。
でもさ、一瞬頭をよぎる時もあるんだよね。
私の頭の中で、綺麗な思い出にできてるうちに、終わってしまわないかなって。
最低だ。弱い人間だね。
生きてることが、
自分が、あなたが、
生きて同じ時間を過ごせていることが、
どんなに幸せなことか。
頭では理解できるのにね。
私があなたを嫌いな時に終わってしまうことが怖いだけなんだよね。
それだけなんだよ。
本当に、それだけ。
私が愛されていたか?
愛し、愛されていたか?
全部、ぜんぶ自分次第なんだよ。
人生の問題はほとんどが他者との問題だけど、
そのほとんどが全部自分との戦いなんだよね。
自分を試練にかけよう。
自分しか証人のいない試練に。
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