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Vol.17 お家をお家にするために旅へ出る

フランス滞在記。

2019年12月某日。アメリカからフランスへ帰ってきた。

ミュンヘンから帰った足ですぐさまアメリカへ渡航したので、約半月ぶりのフランス。帰ってみると、ちょっとびっくりする感覚を覚えました。

日本から来たばかりの頃、あんなに異国地感が強かったフランスがなんだかホッとする自分のホームのように感じられたのです。そして、相変わらず意味なんてわからないフランス語にもその音の響きから深い安心感を覚えている自分がいた。

不思議です。
アメリカからフランスへ戻ったら、家に帰ってきた〜とホッとしていました。
一ヶ月前、きた直後はあんなにドキドキしながら歩いていた街なのに。
たった一ヶ月でも、生活をしてみると心の拠り所となるのですね。
来たばかりの頃は、ヨーロッパっぽい、フランスっぽい、ダイナミックな日本と違うもの、に目がいっていた。
でも、段々ここでの生活に身体が馴染んできたら、こういう何気ないものに「あ、きれいだな」とほんのり気持ちが反応するようになった。
未知へのドキドキも、既知への安心感も、どちらも好きだなぁ。
(当時のFacebook投稿より)

日本からフランスへ渡った直後は「日本とは違うところ」や「日本から持ち込んできたフランスやヨーロッパに対するイメージ」に目を向け、ダイナミックに感動したりびっくりしたり落ち込んだりしていました。

しかし不思議なことに、ドイツ・アメリカと他国を旅してから帰ってくると、当初は気が付かなったフランスの、グルノーブルという街の、ほんのり醸し出すフレーバーや生活の小さな肌触りみたいなものに反応している自分がいました。

上記のFacebookの投稿をみた友人が「お引っ越ししたら旅に出るといいですよ」というコメントくれて、なるほどな、と思った。

フランスへきた直後の、感性が大きく揺さぶられて、わたしの内側を忙しくしてくれる日々もそれはそれでとても楽しかった。けれど、ここを異国の地ではなく自分のホームタウンだと思えて、小さくほんのり心を揺さぶられる感覚を得られたことが、当時はなんだかとても嬉しかったのです。

今この記事を書きながら、ふと平松洋子さんの「買えない味」というエッセイの一番初めに書かれている「箸置き」についての言葉たちを思い出します。

箸置きというものは、単なるたんなる儀式道具ではありません。はたまたお膳の彩りや、お行儀よさげなパフォーマンスでもない。実は箸置きが守っております働きは、無事に箸が戻って帰りつく、その場所なのである。
(中略)
「いつでもここへ帰ってらっしゃい」。両手を広げて待ち受けてくれている箸置きあらばこそ、箸は自在にお膳の上を行き交うことができる。
( 買えない味8-9頁 箸置き「戻る場所」をつくる より)

戻る場所をつくること。

気付かぬうちに暮らすことで私たちはフランスにもきちんと「箸置き」をおいていたのです。そして旅を終えてフランスが「戻る場所」となったことで初めて、自分がここに箸置きをおいたのだと認識したのでしょう。

結婚してから「お家ってなんだろう?」とよく考えていました。

籍がある場所のことでしょうか?

建物を建てた場所のこと?

家族が暮らしていればそこはお家になるのかしら?


フランスで感じたのは、「戻ってきた安堵」という感覚を育む場所がお家なのかもしれないということ。

お家とは、固定された場所ではなく、もしかしたら一緒に暮らす人同士がそういう感覚を一緒に育む場所や行為そのものなのかもしれません。

お家を戻る場所にするために、
日々暮らしを整える。
そして、戻ってきた安堵からお家を感じるために、わたしは旅へ出るのかもしれません。

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