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私たちが外車に乗る理由。

この記事を読んでくださっている方の中には外国車が好きな方も多くいることであろう。

私も外国車は大好きだ。私の親は私が3歳の時にプジョーを買ってきて今ではその車を私が受け継いで乗っているせいで、私はフランス車のゆりかごのような快適な揺れ方にこの上ない価値を感じるし、ドイツやイギリスなどの全く違った文化によって作られた外車にも、いつか乗ってみたいと思っている。


ところで、日本において外車に乗るメリットとは何であろう。これは一般人レベルであれば個性の表現やブランド欲なのかもしれない。しかし、それだけではない理由で外国車を好む人もいると思う。その理由っていったい何なのだろうか。

私がプジョーに乗っていて感じることなのであるが、外車は日本の道に最適とは言い難いと思う。むしろ、日本車は日本の下道を走るのにはとてもよくできている。日本の市街地には信号も多く、ストップアンドゴーも多い。多くの外車好きが嫌う日本車の軽いペダル類も踏みかえをするのにはとても楽であるし、信号待ちしている間は軽い力でブレーキを踏んでおけるから助かる。軽いハンドルも、駐車場や交差点、店に入る際の右左折などで大きくハンドルを切ることが多い日本では使いやすい。

一方の外国車は、日本の下道にベストな作りであるとは言い難いし、故障も多い上に故障してもまず扱ってくれるお店も少ない。なんとかお店を見つけても部品代などがやたらとかかる。一体何の利益の元、我々はこのような不自由を強いられているのだろうか。


これは私の推測であるが、それでも外車に乗る人というのはクラシックな外車に一度は惹かれたことがあるのではなかろうか。実際私も最近は気づくと70年代のシトロエンの中古車をカーセンサーにて物色してしまうという難病に罹患しているのである。

これには、もちろんクラシックカーはお洒落に見えるという要素もあるかもしれない。だが私はそういうことだけではないと思う。自動車という道具の出現から150年余りが経ち、車の洗練度は格段に向上した。またグローバル化等の影響が手伝ってか、最近の車はどの国の車も、どのメーカーの車も、同じような意匠で作られていることが多いように感じられる。しかし、古い車はそうではない。例えば古いシトロエンなぞ、サスペンションを油圧駆動にしてしまって、さらにその油圧回路をブレーキやパワステにも使ってしまうという暴挙に出ていた。古いポルシェが空冷エンジンを長年使っていたのはもはや言うまでもないだろう。これらの車は今どうなったか。シトロエンに関しては、サスペンションの油圧回路はサスペンション専属となり、そのの後に油圧サスごと廃止になってしまった。ポルシェも2000年代に向け、空冷エンジンを廃止してしまった。私たちはそういった個性の消失が悲しくて、古い車に目を向けてしまうのではなかろうか。

つまり、たとえ現行車種であろうと、私たちが外車に求めているのはその国柄、メーカー哲学が反映された個性であろう。その個性を前にしては、私たちのような難病罹患者にとっては、実用性や機械としての設計の正しさなどはもはや無価値に近いものなのである。


最後に一つ、注釈を述べるのであれば、私はメーカーは過去の使い物にならない技術に執着すればいいとは思っていない。そんなことをしていたら自動車というものが進歩しない。ただ、もしメーカーにその気があるのであれば、そういった過去の製品を保持しやすいように、できる範囲の協力をして下されば、私たちにとってこれほど嬉しいことはないだろうし、もっとメーカーを好きになることができるであろう。

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