コインロッカーの中

君はどこかに名前を置き忘れてきた。
忘れたわけではないし、記憶の中にないわけでもない。たしかにあるのだが、何かと符合しないと確定できないのだ。
その「何か」を求めて、いろんなところを探してみる。

おや、ポケットの中に鍵がある。
おお、これは符合するものとしてふさわしい。
ただ、この鍵はどこの何の鍵なのか?
よく見ると、ナンバーが打ってあるじゃないか。どうやらコインロッカーのキーらしい。

さて、 どこのコインロッカーだったっけ?
記憶をたどってみる。
あーあそこだ、オモテサンド―の駅の通路のところだ。
とりあえずそこに行ってみることにする。
番号が打ってあるので 見つけるのは簡単なはずだった。
ただ、そのボックスに何かをしまったことだけは覚えているのだが、それが何だったのか は覚えてもいないのだ。

幸いなことに(何が幸いなのかはよくわからないが)オモテサンド―駅の地下道には誰もいない。
君は誰にも見られずにコインロッカーの扉を開けることができた。なかなか幸先がよいではないか。
ところがそこには何もない…。いや、あった。ただし、それは通告書のような紙切れである。

このコインロッカーは使用期限が過ぎていますので中身は事務局の方で預かっています 必要であれば取りに来てください なお その間の 預かり賃は コインロッカーと同額の賃料として計算させて頂きますので 支払いは必ず用意してきてください

なるほどね。
つまり、君は コインロッカーの 使用期限を過ぎてなお取りに来なかったというわけだ。いや、そもそも期限なんてものがあることすら知らなかった。
ただ、幸いなことに(こんどは確かに幸いである)その通告書の最後に名前が書いてあるではないか。

ウージェニー・グランデ

なるほど、これが君の名前なのだ。
いや待てよ…。普通、最後に書くのは差出人の名前ではないのか?
確かに。
で、この文面には事務局に取りに来い、とある。
となると 事務局の責任者なんだろうか?
肩書きも何も書いてないところがちょっと気になるが…、ま、とにかく受け取りに行ってみよう。

君はオモテサンド―地下街の複雑な通路を通り抜けて手荷物預り所に行く。
幸い(何が幸いなのかよくわからないが)手荷物預かり所には誰もいなかった。カウンターの上の古びた呼び鈴ボタンを押すと、奥の方から小柄な中年男が出てきた。係員らしいのだが、Tシャツに袴という奇妙な恰好である。

「この書類が入っていたロッカーのなかの荷物を受け取りにきました」
「身分証明書」係員は横柄な態度で片手を差し出して要求する。
「身分証明書?」
「そう、身分証明書。持ってないの?」疑わし気な目つきで君をにらむ。
「あ、はい…」実際、そんなものをもっているぐらいなら、初めからこんな苦労はしない。
「じゃ、いいわ。あんた、ウージェニー・グランデ本人?」
「あ~、ま、そうそうです」
「では、少々お待ちください」なぜか急に丁重にお辞儀して奥へ入っていく。

しばらくすると、電話で話しているらしい係員の声が聞こえてくる。何を言っているのか、内容は分からない。とにかく 小声なので 聞き取れないのだ。別に聞く必要もないのだろうが…。
結構長く待たされた。
君はイライラしてくる。
自分のものを受け取りにきて、どうしてこんなに長く待たされなきゃいけないのか?

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