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ストライカーからアーティストへ

10代の選手が2人、家も学校も一緒、映画も一緒に見た。
1人はラヒーム・スターリング、もう1人はデイヴィッド・モリ。

スターリングはイングランドで最も期待される存在となった一方、モリはイングランドの他にモルディブやエストニアでプレーしながらアーティストとしての才能を磨いた。

そして現在はアートの世界に生きる、デイヴィッド・モリのこれまで。


リヴァプール加入

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画像:Liverpool FC WIKI - Fandomより引用

2009年11月、ルートン・タウンに所属していた14歳の頃にリヴァプールと契約。

当時監督だったラファ・ベニテスはアカデミーの再編や若手の発掘に力を入れていた。

2009年7月にアカデミーの要職に就任したダルグリッシュに見出された選手の1人であり、数年後にはファーストチーム入りだろうとまで考えられていた。

リヴァプールでのトライアルでは、初の実戦となったマンチェスター・ユナイテッド戦と続くボルトン戦でゴールを挙げ、すぐに5年契約オファーが舞い込んだ。


スターリングとの関係

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画像:Timesより引用

移籍に伴って、ピーターとサンドラのリーヴス夫妻がセントへレンズに所有するセミ・デタッチド・ハウスでの生活が始まる。

『リヴァプールに来る前から互いに知っていた。顔馴染みだったからいつも一緒にいたよ。同じ学校にも通っていたけど誰も知り合いがいないんだ。』

『自由時間があると一緒に映画を見に行くか、アンドレ・ウィズダムのような年上な選手と一緒にいた。』

スターリングの才能の方がより輝くと分かっていた。

『ラヒームに何が起こるかは早くから分かっていたはずだ。皆んなと違った。彼ほど速い選手はいなかった。』

『ストライカーである俺の背後で10番としてプレーすることもあったけど、ほとんどがウイングだった。彼は自分自身がどれほど良い選手かを理解していたし、それを無駄にすることはなかった。』


リヴァプール退団

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画像:Playmakerより引用

2012年冬、リヴァプールとの契約が2年残っていたがウルヴスU-18へ移籍。

『リヴァプールを出るべきではなかった。残っていればチャンスがあったはずだ。何で出たかも分からない。ステラ・グループという大きなマネジメント会社が担当だったけど、彼らは俺についてよく知らなかった。』

『若手にアドバイスするなら、選手のことを大切にする地元の代理人をつけるようにってこと。』

『ウルヴスでは大怪我を負った。すねを構成する2つの骨の間の筋肉が裂けてしまって8ヶ月間もプレーできなかった。19歳で契約は切れ、味方がいなかった。』


国外での経験

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画像:Pärnu JK Vaprusより引用

ウルヴス退団後、ナショナルリーグのボレアム・ウッド、ヘイズ&イェディングを経て加入したモルディブのニュー・ラディアントと当時フランス3部のSASエピナルでプレー。

その後加入したポーランドのストミール・オルシュティンでは湖と森、そして人種差別が待っていた。

『ポーランドには肌が俺と同じ色の人がいなかった。チームメイトがコーヒーに誘ってくれたけど外に出たくなかった。たくさんの差別があったし、快適だと感じたことはなかった。ほとんど部屋に籠っていたよ。』

一度はイングランドに戻ったが、2018年7月にエストニアのリゾートタウンであるパルヌに本拠地を置くパルヌ・リナメースコンドに加入。

『ピッチや練習場がビーチのそばにあって、夏は真夜中まで明るいんだ。彼らはよく面倒を見てくれた。』

しかし、パルヌ・リナメースコンドでのプレーを始めてすぐ、トレーニング中に前十字靭帯を断裂。
誰もが恐れる怪我だが、故郷から2,400km離れた1,500人しか収容しないスタジアムでプレーを始めたばかりと考えるととても恐ろしいことだ。

『凄く残念だったよ。うまくやれていたし再び幸せを感じていた。文化やチームメイトが好きだった。とても親切な場所だった。』

モリは帰国してマンチェスターでリハビリを始めたが、パルヌ・リナメースコンドは1年間の契約義務を果たした。


アートの世界へ

絵を描くことはキャリアの隙間を埋めてくれた。特に度々1人になってしまう海外では。

2019年、イングランドからアジアやヨーロッパを放浪しつつ怪我に悩まされたキャリアに終止符を打った。

『紙に何かを描く才能はずっとあったんだ。怪我から戻ろうとする間、うつ状態を克服する手助けをしてくれた。部屋に1人でいる時、必要なものはキャンバスだけだった。』

彼の作品の多くはレトロなひねりを加えたモダンなストリートアート。

『バンクシー、ダミアン・ハースト、Dain NYC、バスキアが好きなんだ。今のメインの仕事はコラージュ作品を描くことで、新聞や雑誌に目を通してアイデアやイメージを探すことに時間を使っている。』

『ワトフォードのアンドレ・グレイ、ストークのダニー・バスが買ってくれた。ラヒームは2枚持っているよ。彼の家のどこに掛けられているのかは分からないけど、奥さんが決めたんじゃないかな。』

ラヒーム・スターリング、アレクサンダー=アーノルド、フィカヨ・トモリ、メイソン・ホルゲイト、モイーズ・キーン、マーカス・ラシュフォード、ルーク・ショウ、ジェシー・リンガード、フレッジらは豪華な家の壁に彼の作品を誇らしげに飾っている。

『ラッキーだった。ゴールを決めた時に感じていた興奮と同じものをアートから得ることができた。フットボールをする楽しみと置き換えられるものがあるなんて思わなかった。』

『怪我がなかったらなんて考えない。不満は言えない。フットボールのキャリアは短いものだが、アートなら90歳まで続けられる。フットボールとアート。2つも熱中できるものが見つかった。1つも見つからない人だっているのにね。』

彼の作品は数千ポンドで売られている。

『リンガードのための作品を描いたばかりだし、フレッジの奥さんからは記念日のために作ってほしいと連絡があった。ルーク・ショウの奥さんから誕生日プレゼントにしたいと注文が入ったんだけど、ショウと俺がU-16イングランド代表で一緒にプレーする写真を見せたら驚いていたよ。』

『ラヒームとはリヴァプールでは親しくしていたけど俺が様々な国でプレーしたこともあって、マンチェスターに戻るまでは数年間話をしていなかった。彼は忙しいからね。』

『でも、パンデミックの前はよく会っていたよ。初期の作品を幾つも買ってくれた。ラヒームは会うたびに自分が俺の作品に幾ら支払ったかを思い出させようとするんだ!長い付き合いだし、値引きを期待していたのかもね。』


現在

マンチェスターのセルフリッジで出会ったビジネスマンとの会話が最大の売り上げにつながった。
彼の家を訪問した時に依頼された作品には£6,000以上の費用を投じた。

注目度が高まり続けているモリには、自身の手から滑り落ちていったフットボーラーとしてのキャリアに苦しい思いや後悔は無い。

『それでもたった1つだけ、恋しいものがある。あの環境にいないと芽生えなかったチームメイトとの友情。他の場所では得ることができないものなんだ。』

『フットボールをすることで感じていたストレスや心の痛みは恋しくない。今はストレスを感じたとしても、それはどうにもならないことでも手に負えないことでもない。』

『フットボールを見るのは好きだよ。一緒にプレーした選手を見るのは大好きだ。笑顔になれるし、彼らの活躍を見たい。』

『今では作品を通じてたくさんの選手と知り合えたし、ウィンウィンの関係だね。どんどん広げていきたい。創作を続けたい。可能性は無限にあるんだ。』

『進歩し続けたいし上昇し続けたい。どこに行くかなんて誰も知らないんだ。』


引用元、元記事

Dailymail(2009年11月18日)

Guardian(2009年11月18日)

Give Me Sport(2018年2月16日)

English Players Abroad(2018年8月12日)

Times(2019年3月25日)

The Athletic(2020年12月23日)

Transfermarkt

David Moli Instagram(@boogimoli)


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