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卒業と僕とロック
スマホに溜まった写真を辿っていくと、サムネイルのこの写真を見つけた。高一の5月に撮った写真だ。この写真はお気に入りだ。青春の象徴のようで。でも気づけば三年が過ぎた。
"青春時代が終われば
私たち生きてる意味なんてないわ"
-羊文学『若者たち』
こんな言葉を思い出していた。
高校生という資格も無くしてしまった。
生きてる意味を本当に見失ってしまったような気がする。
それは別に、僕の青春が輝かしかったからじゃなくて、だからといって真っ暗な日々だったというわけでもなくて。どこか胸の奥にわだかまりがあって。変な感傷に浸り切ってしまっている。
春から僕は大学生だ。
でも、大切な何かを置いてきてしまったような。
センチメンタル過剰になっているのかもしれない。それもこれも全ては僕が低俗な人間、つまり
僕が恋愛至上主義者だから起きることだ
僕の人生の最大の目標はロックスターになることでも、芥川賞を受賞することでもない。
大好きな"あの娘"と過ごすことだ。
でも特定の誰かである必要はない。
もちろん目の前にいた、Aさんが好きなのは間違いないのは確実なんだ。
けれどそれはただ「恋に恋してる」ことは明白で
誰でもいいんだ。
なんでそんなことになってしまったのか。
ラブソングに騙されたから。
思えば僕の高校生活なんて、青春なんて、こんなものだ。『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』も、『Blonde』も『Queen Is Dead』も『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』だって人生にとって無意味だ。
そういう青春に憧れて、そういう思考回路で生きようと、僕が選んだ結果なんだ。
一回も恋なんて僕はしなかった。だってそんなものは存在しないから。
青春なんてこの世の中にはありはしない。
僕は教室の隅で孤独を感じていたわけじゃない。
教室の隅で孤独を感じなければならないと思い込んでいただけ。
ロックは僕を救わなかったし、僕を歪めただけなんだ。なのに、なのに。
そうやってまた僕は、The Get Up Kidsを聴きながらこれを書いている。
どうせ、こうやって、このまま、ロックに騙され続けながら、生きていくのかもしれない
中学生の頃、NAVERまとめや個人ブログで音楽の知識を仕入れた。例えばSmashing Pumpkinsという名を検索して、三ページ目に出てくるようなサイトに入る。大抵はwikiの方が詳しいし、wikiのコピペみたいな酷いものもある。
でも時々素晴らしいものに出会える。中学生の頃にアメリカに住んでいて、Smashing Pumpkinsのライブに行った話だとか。良い文章ではなかったけれど、なぜか僕は覚えている。
やたらポエジーな文章になってしまった。支離滅裂だ。途中で読むのをやめたり、苛立ちをツイートしたりする人もいるだろう。けれど、こんな文章も誰かが読んでくれる。ひょっとすると一人くらい何か心の片隅で覚えてくれるかもしれない。
そんなインターネットであってほしい。
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