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1982年のプログレ的風景:エイジアの記録的ヒットとピーター・ガブリエルの天才性と、またしてもフィル・コリンズ...

 この年のトップバッターは、3月に1stアルバムをリリースしたエイジアですね。ジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン)、スティーブ・ハウ(元イエス)、カール・パーマー(元EL&P)、ジェフ・ダウンズ(元バグルス、イエス)が集結したプログレ系スーパーグループ(ジェフ・ダウンズだけはわたし的にはあまり気にしてなかったのですが…w)。何と言っても、こういうメンツが揃って、ビルボードアルバムチャートで9週連続1位、年間アルバムチャート1位という、堂々たるヒットを飛ばしたというのが、画期的な出来事だったのでした。こういう方向性なら、80年代になってもプログレはまだイケるじゃない!という感じを残したのではないかと思います。

ASIA(邦題:詠時感〜時へのロマン)/ ASIA

 続くはマイク・オールドフィールドです。実は彼は大ヒットした初期3部作の後、ちょっと休養した後、78年からは毎年アルバムをリリースしていたのですよね。そして、81年に久しぶりにアルバムリリースがなくて、この年またリリースされたのが、このアルバムでした。

Five Miles Out / Mike Oldfield

 本当のことを言うと、わたしはこのときリアルタイムにこのアルバム聴いてないのです。もっと言うと78年〜ずっとリアルタイムのマイク・オールドフィールドはどういうわけか聴くチャンスが無かったのです。多分、それよりフュージョンの方を優先したからだと思うのです。この間のアルバムは後にCDの時代になってすべて聴きましたが、あらためて聴くと、この年のマイク・オールドフィールドは、まだそれほど80年代という時代にシンクロした感じがありません。この前のアルバム QE2 にはフィル・コリンズが参加していたはずですが、フィル・コリンズのヒットに動揺した形跡もありません(^^;)。初期3部作のころよりエレクトリック系の楽器がいろいろフィーチャーされており、それが少し時代を感じる部分もあるのですが、まだ自分の道をひたすら究めている感じは変わっていないのですね。(でも英アルバムチャートでは最高7位とけっこうなスマッシュヒットとはなっています)

Avalon / Roxy Music

 彼らをプログレに分類するのは、多分誤りだと思うのですが、やはりこの年を代表するアルバムとしてこれは採り上げておくべきだと思いました。それに、今回から記事タイトルが「プログレ」となっていることにお気づきでしょうか(笑)

 ロキシー・ミュージックは、それまではプログレではないにせよ、かなりクセの強い独特なバンドだったのですが、このアルバムではそういうクセが薄れて、とてつもなく心地よいサウンドに昇華したという印象なんですよね。シングルカットされたMore Than Thisも大ヒットしました。ロキシー・ミュージックとしてはこれがラストアルバムとなるわけですが、一躍スターとなったブライアン・フェリーはこの後80年代を通じてソロとして大活躍するわけです。

Beat / King Crimson

 そして、再結成キング・クリムゾンの2ndアルバムがまたやってくるのです。前作がセールス的に失敗だったので、また以前のように別バンドみたいに音楽性を変えてくるのかと思いきや、前作とほとんど同じ路線でやってきたのが意外だったのでした。結局アルバムチャートでも、英39位、米52位と、前作と大して変わらない結果(前作は英41位、米45位)でして、ここに来てもはやこのキング・クリムゾンの新路線の評価は定着してしまったかの感があるのです。キング・クリムゾンは翌83年にももう1枚アルバムをリリースするのですが、これも同じような路線と結果で、ここでまた彼らは活動を停止してしまうのですね。後にロバート・フリップは、2ndと3rdは、レコード会社との契約で仕方なく制作した的なコメントをしているわけで、恐らく1stが思うとおりの結果にならなかった後、あまりモチベーションが維持できなかったのではないかと思うのです。

 そうこうしている間に、今度は9月にジェネシスが久しぶりのライブ盤をリリースします。

Three Sides Live / Genesis

 タイトルの Three Sides というのは、もともとアナログ盤2枚組でリリースされ、A〜C面までの3面がライブで、D面にはスタジオ録音のABACABのアルバム未収録曲が収められた形式だったことに由来します。当時本国イギリスではD面もライブ曲というバージョンがリリースされていて、今AppleMusicなどで配信されているのはそのイギリス盤の方ですね。

 このアルバムで、Seconds Out 以来の、フィル・コリンズのライブでの歌を聴くことになったわけですが、ヴォーカリストとしての進化ぶりが本当にすごいのです。Seconds Out のときは、リードシンガーとなってまだ1〜2年の頃のライブなのですが、そのときから比べて圧倒的な成長が感じられます。さらにバックの演奏も、ライブメンバーのギター&ベースのダリル・スターマー、ドラムのチェスター・トンプソンが定着し、ライブバンドとしての貫禄すら感じさせる凄いライブアルバムだったのです。

 そして、このライブアルバムには、同名の映像作品が存在します。ちょうどこの頃家庭用VTRがかなり普及し始めて、世の中ではSONYのβ方式か、松下陣営のVHSかという熾烈な規格争いが勃発していた時代ですね。その時代に彼らは初の公式ライブ映像作品をライブアルバムと同時にリリースしたのです。そして、これが世界で初めて使われたコンピュータ制御のライティングシステム「バリライト」のお披露目映像だったわけです。わたしは当時まだビデオデッキを持っていなかったのですが、実家にβ方式のビデオデッキがあって、そこでこのビデオを見てその視覚効果に腰を抜かしたわけで、大変に思い出深い作品でもあるのです。(この映像作品は、β→VHS→LaserDisc→DVD→BlueRayと、すべてのフォーマットで買ってまして、さらにBOXSETにも入っていたという….w)

4:00頃から始まるライティングをぜひ。Seconds Outの頃の固定ライトでもやっていたスタイルから、全部のライトが一気にフィル・コリンズにスポットするという演出を初めて見たときは、本当に度肝を抜かれました。

そして、長いインストゥルメンタルの後、Afterglowでの「夕焼けライティング」(3:30頃〜)+バリライトで観客が熱狂するわけです。初めて実用化されたバリライトで、これほど多彩な演出を行っていたわけなんです。ビデオ全編を見ると、すでに現在よく見るムービングライトの典型的演出パターンのほぼ全てが確認できると思います。

 ちなみに、この映像作品を見たであろう他のバンドもみんな腰を抜かしたんですよね。それであっという間にこのバリライトが大物ミュージシャンのライブに使われるようになるのです。日本では、松任谷由実がピンク・フロイドのライブ映像を見て「あの凄い照明を自分のライブに導入したい」といって、採用したという話があったと思いますが、元はと言えば、そのときピンク・フロイドが使ったライトシステムも、ジェネシスが出資した会社が開発したものであり、松任谷由実もジェネシスの売上に貢献したわけなのですね。

Acting Very Strange / Mike Rutherford

 Three Sides Liveと同じ月に、ジェネシスのベース&ギタリスト、マイク・ラザフォードの2ndソロアルバムもリリースされました。この頃本当にジェネシスのメンバーは仕事してるんですよね。ただ、前年のスティーブ・ハケットの Cured に続いて、こちらもフィル・コリンズがビックヒットしたことの動揺は隠せなかったようで(笑)、とにかく驚いたのは、全曲マイク・ラザフォードが自分で歌ってます。そして、これがダミ声で声も良くなければ、歌も上手くないという残念な仕上がりなんですね…。ジャケットもこれまた顔写真で、照れ隠しなのか後ろに変な写真を並べておちゃらけてますが、酷いジャケットです(笑) このアルバム、結局セールスもダメで、マイク・ラザフォードは今では完全に黒歴史認定をしてるんですね。なので、一度だけCDで発売されたあとはリマスターもなく、AppleMusicなどでも配信されてないというありさまなんです。でも、これはよく言う「意欲作」だと思うのです。ドラムにポリスのスチュワート・コープランドを迎えて、かなりニューウェーブを意識した音になっていまして、割と「当てに行った」アルバムなのではないかと思うのです。まあ結果は散々(アルバムチャート英23位、米145位、シングルカット曲はいずれもチャートインせず)だったのですが、わたしはWho's Fooling Who なんかは結構好きだったし、やろうとしたことは理解出来たわけです(にしても、あまりにもボーカルがひどいw)。それに、このアルバムがあったからこそ、次のメカニクスにつながったのではないかとも思えるのですけどね。

Security Peter Gabriel 4 / Peter Gabriel

このアルバムも例によってpeter gabrielのクレジットだけで、タイトルがついていないのです。これまではジャケットのイメージからCar、Scratch、Meltと呼ばれていたのですが、この4thの謎のジャケットのどこが Security なんじゃいと思っていたら、このタイトルはカナダかどこかで一瞬このタイトルでアナウンスがあったということが由来らしですね。

 そして、またジェネシスファミリーが続きます。ピーター・ガブリエルの4thのリリースです。わたしがこのピーター・ガブリエルを「天才」だと思うのは、やはりこの年のこのアルバムだと思うのです。ここには、フィル・コリンズの大ヒットの影響など微塵も感じられません。ひたすらにピーター・ガブリエルは、自分の音楽、音を追求しているのです。これはロバート・フリップだってそうだったと思うのですが、こちらはその状態で、全英6位、全米28位というヒットを記録するのです。そりゃ、前作 melt は全英1位、全米22位でしたので、前作に及ばないといえばその通りなのですが、何よりも少しニューウェーブを意識したように見えた前作に比べても、ほとんど時代の音にすり寄ることをせず、この内容で、この結果というのがあり得ないほど凄いことだと思うのです。

 このアルバムについて良く言われるのは、「アフリカンリズムの大胆な導入」というのがあります。確かにトーキング・ヘッズがアフリカンリズムを導入したとかはちょっとありましたが、そんなに大きなブームにまではなってなかったと思いますし、ここでのピーター・ガブリエルのアプローチもかなり独特なものだと思うんです。でもそれで売れちゃう(笑) それに、アフリカンリズムとか関係なく、たとえば、こんな曲まで80年代にやってるんですよ。

San Jacinto / Peter Gabriel

延々と同じようなフレーズを繰り返してストレスためておいて、一気にドカンと開放するというのは、まさに往年のプログレ的な手法だと思うのです。もちろんプログレマニア的には、随喜の涙モノなのですが、ピンク・フロイドだって、もうこんなことやらなくなっているのに、それで売れるわけなんです(笑)

 つまり、彼は時代に「媚びる」のではなく、あくまで時代(大衆)を自分の方に引き寄せたというか、自分の音楽は音楽で、時代に関係なく売ってしまったというような感じなのですね。そして世の中的には、こういうことができる人を「天才」と言うのだと思います。

 そして、マイク・ラザフォード、ピーター・ガブリエルと同じ9月に登場したのが、アバのフリーダ最初のソロアルバムです。これは、フィル・コリンズ初のプロデュース作品であり、フリーダにとっては、初のソロアルバム(英語で歌ったものとしては)なのです。

Something's Going On / Frida

 きっかけは、離婚の痛みを歌ったフィル・コリンズの1stソロアルバムを聴いて感動したフリーダが突然フィル・コリンズを訪ねてきたことです。

ABBA's Anni-Frid Lyngstad, stunning in a huge fur coat, visits me at The Farm. She’s been going through a divorce, too, from Benny Andersson. With her personal life splintering, and with ABBA's future looking equally rocky, she wants to make a solo album.
アバのアンニ-フリッド・リングスタットが大きな毛皮のコートを着て、The Farmに僕を訪ねてきたんだ。彼女もまた、ベニー・アンダーソンとの離婚を経験していてね。私生活がバラバラになっており、アバの将来も危ういので、ソロアルバムを作りたいというんだ。

Not Dead Yet / Phil Collins(日本語訳は筆者)

 こうして、まだアバの正式解散前に、フィル・コリンズプロデュースの元、フリーダのソロアルバムが制作されたわけです。このアルバムの楽曲制作にはフィル・コリンズはほとんど関わってないのですが、それでもバックが全部自身のバンドで、フィル・コリンズがプロデュース初作品にしてかなり自分の色を出しているんです。わたしには、まるでフィル・コリンズのソロアルバムに、フリーダがボーカリストとして入ったような感じに聞こえたのですね。おかげで、アバもフィル・コリンズも大好きだったわたしには、ぐさぐさ刺さったアルバムとなったわけです。正直このアルバムは、次にきたフィル・コリンズの2ndソロより、ずっと好きです(笑)

 ただ、これはアバの永年のファンの人たちには案外評判悪かったのではないかと思うのです。「俺たちのフリーダになんてことするんだ!」的なリアクションもけっこうあったのではないかと…(笑)。フリーダほどの大物ミュージシャンを、これほど自分色に染めるは、あげくにデュエットまでキメてしまうなんてのは、フィル・コリンズもよくやるよなぁと思います(おかげで、当時フリーダとフィル・コリンズがデキてるんじゃないか…という噂がたったくらいでした。これは全くのデマだったんですがね^^;)  ただ結果的に、このアルバムはアバのメンバーのソロアルバムとしては歴史上最大のヒットとなったわけで、「フィル・コリンズに頼むと売れる」みたいな印象が広がったのもこのアルバムの成功があったからだと思うのです。

 さて、その82年を締めくくったのは、フィル・コリンズ本人の2ndソロアルバムだったわけです。先のフリーダのソロアルバムで、もうフィル・コリンズのソロアルバムを聴いたような気がしていたところに、さらにダメ押しっぽく本人のアルバムがやって来たわけです。

Hello I Must Be Going / Phil Collins

 アルバム自体は、前作からの延長線上の雰囲気はかなり強く、まだ「元」プログレミュージシャン(笑)の香りはちょっとだけですが残っていたわけなんですが、これもアルバムチャートで全英2位、全米8位の大ヒットと、前作とほぼ同じくらい売れるわけなんです(前作Face Valueは全英1位、全米7位が最高位)

 そしてこのアルバムからシングルカットされたこの曲が、In The Air Tonightより売れてしまうワケなんです。

You Can't Hurry Love(邦題:恋はあせらず) / Phil Collins

 これは、60年代にスプリームスが歌って全米No.1となったヒット曲のカバーなんですが、これがなんと全英1位、全米10位という、1st シングルの In The Air Tonight(全英2位、全米19位)を超える大ヒットとなるわけです。ただ、このカバーに至っては、もはや元プログレミュージシャンの面影は全くなく、誰が見ても、もう普通のポップシンガーなんですよね。さすがに当時「おやおや」とは思ったのですが、ここにきて、もうフィル・コリンズの勢いは誰にも止められないような状況になっていたという感じですね。こうして、その後いろんな人に「フィル・コリンズって、ドラム上手いんだ」とか「フィル・コリンズってジェネシスってバンドもやってるんだって?」とか言われるようになるわけなんです。「売れる」というのは、そういうことなんですよね。アルバムをきちんと聴けば、フィル・コリンズのミュージシャンシップは、とてつもなく凄いものだというのがわかるのですが、大衆に売れるというのは、やはりこういう側面もあるのですね。

 こうして82年、エイジアのヒットに驚いた年だったのですが、その他は、相変わらずジェネシスを中心に回っていたようなものだったのでした。



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