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誹謗中傷や人権問題の議論でいつも思うこと
BlackLivesMatter活動や、伊藤詩織さんの漫画家提訴、アンジャッシュ渡部不倫騒動など、この手の話題がまた目立ってきた。そして最近では、”声をあげない = 何も考えてない = 権利がある人こそ発言すべき”みたいなSilent Majorityへの問題視も加速してきてるのもあって、せっかくなので自分の頭の整理としてここに言語化しておきたい。
ちなみに、私はジャーナリストでもインフルエンサーでもないので、誰かに押し付けたいわけではなく、一つの考え方として捉えてもらえたらな、と。
人種差別された経験がある立場として
私は3〜5歳と12〜18歳の8年間はアメリカに住んでいた。幼少期の記憶が薄いのだが、12歳で渡米した時はザ・アメリカのような環境で、現地校は白人・黒人・ヒスパニック・インド系・アジア系とかMix Cultureそのもの。そして社会人になってからも、アジア・中東・ヨーロッパなど仕事や旅行を通じて様々な文化や人を見てきた。
差別を受けたのは12歳のアメリカ時代。まず英語を一切話せない状況で飛び込んだので、案の定、超絶マイノリティの日本人だからということで、Karate! Sushi!みたいにイジられ言い返さず悔しい思いをした。また、中国や韓国出身のアメリカ人とで、なにかの拍子で歴史の話になると、日本の小学校ではあまり習わない南京大虐殺のことを言及されたり、日本にいたらほぼ感じない”あぁ、自分は日本人”なんだなって思わせる日々の連続だった。
ただ、人種や出身などのバックグラウンドは変えれるものでもないのは皆自覚しているので、その価値観で足元の生活を送るよりも、今の身近な同じ環境・コミュニティで生きる同志として仲良く繋がっていた。
そんな経験や視点からの考えです。
シンプルな対立構造は危険をはらんでいる
ここの捉え方を間違うと、議論や顛末が変な方向に行ってしまい、危険だと思ってる。シンプルだからこそ。
・女性 vs 男性
・差別わるい vs 完璧な差別撲滅は無理
・自己実現 vs 仕事は我慢するもの
・黒人 vs 白人 ・・・等々
わかる。他の人と共有したり共感を求めるのであれば、わかりやすい方がいいし、欧米式の仕事でもDebateのように、はっきりと両極に振って対立させないと論点が見えてこないと思われがち。
でも・・・・
人間の思考ってそんなにシンプルではなく、すごく複雑じゃないですか。
”中華が好き!”といっても、全メニュー好きなわけでもないし、
”清楚系好き!”といっても、それだけで好きになるわけでもない。
という極論で語る無意味さとか。
”信号無視はルール違反!”ってわかってても深夜とかたまにはするし。
”いじめはいけない!”でも正当防衛のケースもあったり。
みたいな総論や正論が解決のポイントじゃなかったり。
例えば、本当は0.5ぐらいのレベル感で議論しないと出口が見えないのに、"1であるべきだ!"とか"いやいや0だ!"とか無駄に両極を行ったりきたり、解決に全く向かってなかったり。議論に乗っかる方も、複雑に考えるのがストレスだから、シンプルな思考で乗っかって起きたいと無意識に思ってる人も多かったり。
なにかを変えるために、あえて極端に振っている自覚があるなら、まだマシだと思う。だけどフォローする人や世論総勢が、極端な1や0を正義と思い、無自覚のまま展開すると、都合のいい正義を振りかざしたり悪用する層を作ってしまったりする。
議論するのはもちろん必要。
だけど、下手に自分の声が違う形で加担されるのは避けたいというのが本音。
言いたいのは、シンプルな対立構造を間違うと危険ということで、例えば今回の黒人差別の件でいうと・・
・肌の色の視点で、どこからが黒人なのか?
・出身や成り立ちの視点で、どこからが黒人なのか?
・対局にある黒人じゃない人たちは、どういう定義の人?
・オバマ大統領、NBAやMLB、NFL、また欧米でのサッカー選手といった黒人スーパースターがいる中、彼らも含めての話か?
・自分たちの身近にいる仲がいい黒人も同じ話か?
など、よりリアルな実態を知った上で考えてみると本当に議論すべき対立構造は「黒人 vs ___ 」とか、浮気問題でいう「男性 vs 女性」ではないかもしれない。
切り口や見る方向性は正しいのか。
さっきの続きでもあるが、どういう切り方がいいのかは、自分なりの考えは持っておいた方がいいと思う。少なくとも、社会的な切り方と個人としての切り方は3種あると思う。
[社会的アイデンティティ]
国、都道県/州、学歴、信仰、企業、出身、役職 など
[個人的アイデンティティ]
性別、年齢、国籍、肌の色、身体/心身、富、結婚/子供、名前、趣味など
[思考的アイデンティティ]
政治思想、幸せの定義、環境問題系、経済や競争の原理など
ここで言いたいのは、
・まず、これらの軸でAとBのようにスパッと切れるものは少ない
・あと、その軸の分け方で人もスパッと分かれるわけではない
の2点。
例えば、「黒人」という括りでも、出身や宗教が違ったり、思想が違う人も様々いる。だから議論対象は人ではないことは明白。なのにメディアやSNS上では、どうもわかりやすい人という単位で議論しているのが、違和感を感じる点。
身近な例でいうと、普段は仲良くバスケしていた黒人の親友、同じ会社内では苦楽を共にした黒人の尊敬する上司、普段行っているバーに通っている腹を割って話せる黒人メンバーがいたとして、でも人種や政治という切り方をしたら、なぜか対立することになる。
なんで??
切り方だけで、人間として通じてた心まで変わるもんなの?
黒人といわれているオバマが大統領になったのにいまだ問題が存在する、今回問題を起こした白人警官も黒人差別はダメというのも知識としての倫理観はわかっていただろうし、警察組織の中にも黒人の上司もいるだろう。じゃ、差別ダメ!って言っても空振りしてる感じがする。なにが問題で、解決するための議論するあるべき対立構造はどこなんだろうか。
地域かもしれないし、その中の教育かもしれないし、法律かもしれない。
否定は新たな否定を生む。答えなんてないのかも。
色々と考え方を書いたけど、一番難しいのが...
なにかを良くしようとしたら、なにかを止めたり否定しないといけないことが多い。だとすると、自由や多様性を重んじるのであれば、それにより、新たな対立構造を生むことになる。そして、またその自分たちの考え方も違う形で否定される可能性もある。また、答えを出すということは、そこで思考停止になることも多い。でも悩むからには何かしらの答えを出したい...。
つまり...
差別はやめよう!という、違う考えを差別するアイロニー。
答えを出したいけど、答えは出すべきじゃないアイロニー。
この無限ループ。
では、どうすればいいのか?
うーん。
考える限り、すごくストレスフルなんだが、やっぱり常に考え続けるしかないのかもしれない。
また、それも幼少期で教わる、一人ひとりの身近な相手の立場になって考えれることが全てのベースであり、その視点が一番重要な気がする。
この手の話は、専用用語や哲学とかでは当たり前なんだろうけど、自分の言葉で書いてみました。
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