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「費やす」

(※初回はテーマは決めず、3人の拙文を同時に載せています↓)


今日も前日に調べておいた時刻表通りの電車に乗り目的地まで向かっている。平日昼過ぎの電車は誰も急いでいない。流れる車窓と日の当たりが優しい。今、僕が乗っている電車の乗車率は何%なんだろう。都内最高乗車率は日暮里・舎人ライナーの朝ピーク155%らしい。日暮里・舎人ライナーのピークが都内のピークなんかい。日暮里・舎人ライナーのピークがピークなんかい。日暮里・舎人ライナーよ空を飛んであの娘の胸に突き刺さるんかい。

そんなことを考えていると僕の目の前に若いお母さんが座った。若いお母さんはベビーカーを慣れた手つきで固定し、窮屈そうなポケットからするりとスマートフォンを取り出した。その勢いのまま画面を眼球ゼロ距離まで近づけて、画面の中にある文章を追っている。目が文章を泳いでいる。文章が目を泳いでいる。すごい。すごい。それもすごくにこやかに。

人は文章だけでこんなにも笑えるのかというくらい笑っていた。ピーク乗車率155%の日暮里・舎人ライナーにいても目立つくらい笑っていた。その光景をみたときに人間の想像力というものはなんて素敵なんだろうと思った。どういう関係でどんな人から送られてきた文章なのかはわからないけれど、文章から相手の仕草や感情を想像し、受け取り、感じている。こんな想像力を持っているこの人はなんて素敵な人なんだろうと思った。

今回、同期だがそんなに面識のなかった2人と様々な同じテーマで文章を書くことになった。上は謎の重ね着、下はポケットたくさんカーゴパンツの星ネギ松平ちゃんとジャケット羽織り忘れたネネネ善方。今のところ僕が2人に持てる想像力はここまでだ。

この2人が僕の文章を読むときに僕の声だったり動きを想像して、この若いお母さんのように微笑んでほしいなと思いながら、これから文章を書きたい。

そんな2人の微笑んでいる顔を想像しながらこの文章を書いている僕の顔は自然と微笑んでいたらしく、向かい側の赤ん坊が僕の顔を残酷な目で見ていた。

僕は前日に調べておいた時刻表通りの急行列車には乗り換えず、この文章をもう一度見直し、2人のことを想像した。視野なんか狭くていいとも思った

1000タコ モサク



この前、閏日だった。

昔から何かを始める腰は重いくせに、こういう特別な日は特別なことをしないと落ち着かない。
何か、日常とは違う、新しいことを。

ロッテリアが27.28.29日の3日間限定で、パティが4枚重なった、いかにも特別なチーズバーガーを売っていた。

たしかに29日は肉の日だ。
閏日という、この日に生まれれば四年に一度しか歳を取らない話で一生その場をひと沸かしできるんだろうなと考えてしまう日に、昔のランドセルの赤くらい濃く塗り重ねられて気づかなかった。

企業は視野が広い。
私に気づけてロッテリアに気づけないことなんて何一つない。

1番近い店舗を調べ、買ったばかりのスニーカーを履いて、定期の範囲外の電車に1人で乗った。


美味しかったが、2枚でよかった。

だから通常はダブルのチーズバーガーまでしか販売しないんだろうなと考えながら、これもまた限定の苺シェーキで一向に潤わない喉を潤そうとする。

その場に、限定の4枚のパティのチーズバーガーを頼んだが2枚でよかったな、なんて趣がない感想を告げられる相手はいなかった。

でも誰かに伝えたい。

私の胸焼けしやすい体質を、
スニーカーを新しくしたことを、
ロッテリアのポテトは長いのが沢山入ってて食べてて楽しいことを。


伝える場が、今日からできた。


誕生日には毎年コロッケを食べるネネネの善方さん、ズボンの着回しが上手な1000タコのモサクさん、最近寄生獣を読み始めた私の3人で、毎月同じテーマの文章を書くnoteを始めることになった。

Xで告知以外何を呟けばいいかわからない私にとっては、気ままにキーボード上を指に走らせることのできる有難い機会だ。

昔から何かを始めるときに重かった腰が、今日だけ軽かった。最近のランドセルくらいに。

星ネギ 松平



 数か月ほど前、サッカー日本代表がイラクに失点している横で、1000タコのモサクは新聞を作りたいと言い出した。


新聞発行部数が減り続けている現代に、新聞を作りたいという志を抱く青年が今自分の横に立っていることがうれしかった。

彼に根拠のない心強さを猛烈に感じた。

それも芸人が書く新聞というのはとても興味深く、僕はつい、「え、めっちゃいいじゃん、一欄というか一枠、ちょうだいよ」と言ってしまった。


モサクも文章を読んだり、書いたりすることが好きらしい。

僕は、ここぞとばかりに、自分が今まで読んできた本がどういうものだったか自分なりに説明し、自分で普段からnoteに文章を書いていることを公表した。月刊なのか週刊なのかわからなかったが、そう、モサク新聞の一枠を勝ち取るために。

 モサクが、この間三鷹のあたりを散歩していたら、太宰治関連の展示かなにかが行われていて、そのあたりを歩いていたおじいさんに話しかけられたと教えてくれた時には、人間失格しか読んだことは無いけれど、確か三鷹の跨線橋が太宰治ゆかりの地だったな、などと思い出してあれこれ話した。

すべては、モサク新聞の一枠を勝ち取るためだから、多少の嘘も厭わず、ニュースで少し見ただけではあったが、最近その橋が撤去されたらしいという話を我が物顔でしていた。(その橋は本当に撤去されていた)

 しかし、よくよく話を聞くと、まだモサク新聞の執筆者はモサク自身以外は、空席らしかった。だから、何か熱量を持って自分のアピールをしなくとも、僕はどうやらその一員に加わることができたようだ。さっきまで面接のような勢いで必死にしゃべっていたことが急に恥ずかしくなったが、一枠いただけることに感謝しよう。


 モサクが、もう一人くらいほしいと言った。

そこで白羽の矢が立ったのが、星ネギの松平。前から存在は気になっていたけれど、少し遠い存在だった彼女は、モサクも自分もちゃんと喋ったことは無かった。簡単にこの企画の趣旨を説明したら、すんなり了承してくれた。

かっこいい靴を履いていた。

編集長自らのスカウトでモサク新聞の執筆者になれるという点が、僕にとっては大変羨ましかった。すでに一歩先を越されてしまっているのかもしれない。

 モサクは自分たちが書いた文章をライブに来てくれた人に配ったりしたいとも言っていた。さすがに、本当の新聞みたいに各家庭に一枚ずつ、超若手芸人の訳の分からない文章がポストに投函されていたら、町全体が少しざわついてしまうだろうから、いや、まったくざわつかないのかもしれないけれど、結局、noteという媒体で週に1度3人のうちの誰かの文章が公開されることになった。

この突発的で先が見えなさすぎる活動がいつか何か形になったとしたら、そこにはどんな景色が広がっているのか、そんな妄想に更けていたら、日本代表はイラクに2失点目を喫して、敗北が濃厚になっていた。

ネネネ 善方基晴


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