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「土産」 善方基晴

 

 中学生や高校生の時、お土産は「渡す」というよりも「配る」ものだった印象が強い。
 
特に、同じ部活の人たちの間でお土産を配ったり、もらったりしていたことを思い出す。

 
お盆休みが明けて、久しぶりの部活のときなんかは特にそうだ。
誰かが、おもむろに箱を開けて、個包装になったお菓子を配り歩いていたりして、それに呼応してほかの人も親の実家に帰省先のお土産を配り始めたりしていた。
 
 自分が、お土産を配布する側の立場だったら特に問題はない。

当時僕が入っていたサッカー部の人数は正確に把握できていたし、そこまで気合を入れてお土産の内容にこだわらなくても、お土産の数さえ正確であればスムーズに配布は終了する。
 
 
 問題は、自分が受け取る側だった場合に起こる。
 
 
部活の練習が終わって、誰かがお土産を配り始めた瞬間を横目で捉えた時から、自分の中で若干の緊張が漂う。
 
果たして、あなたが配っているお土産の対象者に自分は入っているのか。また、個数はちゃんと全員分あるのだろうかという点が、つい気になってしまう。
 
 さすがにお土産を配布する友人が同学年であればお土産はもらえていたと思うが、後輩がお土産を配り始めたら注意が必要だ。

 
仮に自分にお土産が配布されなくても、何も気づいていなかったふりをして、お疲れ、と軽く挨拶をして帰る。もし、渡してくれた時には、お土産を配っていたことに今気づいたというふうに、あっありがとう、と返事をする。

少なくとも、この2通りの準備をしなければならない。

部活の練習着から制服に着替えるスピードにさえ気を使っていた。

 
とある後輩が、自分ではないほかの先輩にはお土産を渡していて、自分にはそれが回ってこなかった時、しっかり傷ついていたこともある。

 
 
 バレンタインデーの日もクラスの女子が男子にチョコを配り歩いていたら、その光景には気づいていないふりをして、自分にも声がかかった時は、まるで今気づいたかのように、あっありがとう、と返事をしていたし、自分に回ってこなかった時には少し傷つきつつも、何事もなかったように次の授業の準備をしていた。

 お土産もバレンタインも、自分が受け取れるかどうかを気にしなければいけないイベントだから、少し気疲れしていた思い出が多い。

 
  最近は、一つの集団で定期的に集まることが少ないから、そんな心配をすることもない。

 それはそれで少し寂しいような気もする。


ネネネ 善方基晴

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