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「写真」 モサク

誰でもどこでも写真を撮れるようになったいま、写真を撮られることに抵抗感を持っている人は少なくなったように感じる。

抵抗感というと少し嫌な印象を持つかもしれないが、単純に写真を撮られるという行為が恥ずかしいということだ。

お盆とお正月はおばあちゃんに会うために必ず帰省するのだが、その際に母親がおばあちゃんと僕のツーショットを必ず撮る。

その際におばあちゃんは写真を撮られるということにすごく恥ずかしそうにしていて、撮られているおばあちゃんの表情はとてもリアルに写っていて、すごく良いので見返すことが多い。

ただ、インスタで見る写真にそのような写真はあまりなく、自分が被写体として意識しているような写真が多く、あまり魅力的に感じる写真は少ない。

自撮りはもはや写真ではなく、そこにある風景や匂いを遮断して、違う次元をキャプチャーしている感覚だ。

写真にキャプチャーされている時点でその表情はリアルではないと思うようになってしまった。



でも、それはエンタメと捉えようとした方がいいと思う。というか、それはもうエンタメなのだ。そこを上手く捉えきれないのでは僕はエンタメをすることに向いてない。

そんないろいろな意識を外したい。カメラが僕に向いていても意識していない自分を写したい。むずかしいけれど。

そうするためにはもう自分の世界を分けるのではなく、ひとつにしていくしかないのだ。

自分の虚像を作るのではなく、虚像が自分を上回ってくるまで回せばいい。回そう。



カメラロール回って回って回って回っても
戻るとこはいっしょだね


タッタッタタタ!

モサク

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