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一口あげるハラスメントVS絶対いらないハラスメント

 トレイの上に乗った石鍋がじゅうじゅうと不吉な音を立てている。ショッピングモール内のフードコートでは色々なものが注文できるのに、梨花が注文したのは、よりによって石焼ビビンバだ。辛さと熱さを兼ね備えた、私にとっては理解不能な食べ物。辛味も熱も痛みに繋がるのに、どうしてわざわざ金を払ってまで痛みを感じようとするのだろう。

「一口あげるよ」

 突然、梨花がビビンバを差し出しながら言った。私は自分で注文したオムライスを食べ始めようとしていたところだったけれど、梨花の一言で石鍋の熱さとコチュジャン独特の辛味を想像してしまい辟易とする。

「いらない」

「えー。そんなこと言わずに食べてよ。美味しいよ。優菜も食べてみて」

 はっきり断ったのに、梨花はしつこい。自分が好きなものは世界中の全員が好きだと信じて疑わないタイプなのかもしれない。

「猫舌だから石焼ビビンバ食べられないんだよね」

「あ。そうなんだ」

 正直に話した途端、梨花が残念そうに眉を下げた。
 梨花の魂胆はわかっている。ビビンバを一口提供する代わりに、私のオムライスも一口欲しいのだろう。勘弁してほしい。熱いのも辛いのも苦手だけど、一口あげるとか一口ちょうだいとかのシェア文化はもっと苦手だ。
 梨花と私は職場では仲の良い同僚で、こうやって休日も2人でショッピングモールに遊びに来る程度には距離が近いけど、食べ物のシェアは無理。そもそも、私が頼んだのはオムライスだし、石焼ビビンバが食べたいわけじゃない。私はオムライスでお腹を満たしたい。たとえ一口であっても別の食材にお腹のスペースを奪われたくない。
 そう思うのに、梨花の残念そうな表情を見ていると、自分のオムライスを食べ進めるのが申し訳なくなってきてしまう。

「食べる? 」

 仕方なく自分のオムライスを指差して梨花に問い掛けてみる。すると、彼女は驚いたように瞬きをした。でも、彼女が悩んだのは一瞬だ。

「えー、なんかごめんね」

 わかっていたことだが、梨花は断らなかった。遠慮もしない。ビビンバ用の長いスプーンで私のオムライスの端っこを容赦なく掬った。チキンライスを包んでいた薄焼き卵がビリビリと破れていく。卵でふんわりと包まれたオムライスを端っこから丁寧に食べ進めていくのが私の美学なのに、台無しだ。
 ……思うんだけど、これは何らかのハラスメントに該当しないのだろうか。
 お酒を無理に飲ませることはアルハラなのだから、いくら一口とはいえ強制的に好きでもない食べ物を交換しようとする「一口あげる」の行為がハラスメントに該当しないのはおかしい気がする。
 だいたい、食事中に接触を伴うコミュニケーションはコロナ禍で滅んだんじゃなかったのか。

「うん。美味しいね」

 大事な大事なオムライスの端っこを一口提供して私が得たものは、梨花のありきたりな感想だけだった。もっと気の利いたことを言えないのか。別に期待はしてないけど。
 オムライスを奪って満足したらしい梨花は、続けてビビンバを頬張る。よっぽど熱いのか、それとも、熱いもの食べてますよアピールなのか、わざとらしいまでにハフハフと口の中でビビンバを転がしていた。どっちにしろ信じられない。絶対に口の中ヤケドしてる。痛そう。

「本当に食べない? 冷やせばいけるかもよ」

 半ば呆れつつ梨花の食べっぷりを眺めていると、またしてもビビンバを勧められた。しつこすぎる。
 梨花にとっては、料理を堪能することよりも、料理を互いに交換することが重要なのだろう。つまり、食事は味ではなくコミュニケーション重視。小学生が遠足でお弁当のおかずを交換する感覚なのかもしれない。そんな子供っぽいこと、私はごめんだ。

「絶対いらない」

+++

「一口あげるよ」

「いらない」

 優菜に石焼ビビンバを勧めると即座に断られたので、なんとなく気まずい気分になった。
 いらないってなに。そっちが私のビビンバをじーっと見てたんでしょ。欲しいのかと思うじゃん。だから勧めたのに、即答で「いらない」って。あれだけ凝視してたんだから、一口くらい食べなよ。引くに引けない。

「えー。そんなこと言わずに食べてよ。美味しいよ。優菜も食べてみて」

「猫舌だからビビンバ食べられないんだよね」

「あ。そうなんだ」

 だったら最初からそう言ってよ。
 だいたいさ、そこまで頑なに拒否して、協調性のカケラも無い。私だって一口あげるとか一口ちょうだい文化に対しては積極的じゃないけど、他人からの好意は受け取るし、断るにしてもお礼くらい言うのに。
 そういえば優菜は、職場の先輩が旅行のお土産のお菓子を配ってくれてた時も、「甘いもの苦手なので」ってお礼も言わず露骨に断ってた。お土産を受け取らないのは流石に盛り下がらない?

「食べる? 」

 突然、優菜がオムライスを指差して言ったので面食らう。
 あれ? ひょっとして私が優菜のオムライスを欲しがったと思われてる? だとしたら、とんでもない誤解だ。私は別にオムライスは食べたくない。ビビンバは一口あげてもいいけど。
 でも、優菜がわざわざ勧めてくれているのだから、断ったら変な雰囲気になるかな?
 気まずい間ができるのが怖くて素早く判断を下す。よし。一口だけもらおう。

「えー、なんかごめんね」

 一応謝りながら、オムライスに手を伸ばす。ビビンバ用のスプーンではうまくオムライスを取れなくて薄焼き卵が変な破れ方をしてしまったけれど、頬張ったオムライスは普通に美味しかった。芸能人でもアナウンサーでもない私は上手な食レポなんかできず、シンプルに「美味しいね」という感想しか言えないのが残念だ。
 冷めないうちにビビンバも急いで頬張ると、口の中をヤケドしそうになってしまった。めちゃくちゃ熱い。
 ふと、視線を感じて顔を上げる。優菜がまたこっちを見ていた。
 え?なんで見てくるの? やっぱり欲しいの? それとも、私がオムライスを一口もらったのが嫌だったの? ていうか、ビビンバ食べてヤケドしそうになってたところを見られてたとしたら、かなり恥ずかしいんだけど。

「本当に食べない? 冷やせばいけるかもよ」

 駄目元でもう一度ビビンバを勧めてみる。もしかしたら、何度か勧めないと素直に欲しいと言えないタイプなのかもしれない。

「絶対いらない」

 ですよね。猫舌の人が石焼ビビンバなんて食べるはずありませんよね。
 ていうか、食べたくもない他人の食べ物を凝視してくるって、なんのハラスメントなの。斬新すぎない? それに、勧めたのに何回も断られると地味に傷つく。食べたくないなら見ないでよ。それとも、本当は欲しいの?どっちなの?

+++

――いらないって言ってるのに。
――欲しいならあげるのに。

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