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世界の姿を考える~量子論で見える世界~

今日は有視界の世界について
考察していきたい

皆様にはどのようにこの世界が見えているだろうか?

人間の目に見えるものは
光が物体に反射し
網膜を通して視神経に入った光を
認識して景色として認知している

嗅覚などはさらに顕著で
特定の化学物質を鼻腔内の神経が感知し
脳内で特定の臭いだと判別している

光の反射をうける人間の脳が
色や形を形成しているといっても過言ではない
※触覚により形状認知を補完してはいるため
 形状に関しては脳が作り出しているとは言えない

我々人間は光によってしか視覚的認知が出来ない
目が見えない人にとっては
視覚情報に代わるものでしか
その世界を認知出来ない

世界とは我々が思っている以上に
不確かなものなのではないかと思う

世界に溢れる色も臭いも
他の感覚器官を持つ生命によっては
まったく別の認知されるはずだからである

地球以外の環境における
エネルギー生成に使用される気体は
酸素ではない

酸素は他の物質と結び付きやすい性質を持っているため
物体を変化させやすい

酸化した物質はたいてい脆くなる
そのため酸素をエネルギー源とする以上
体内組成の酸化は避けられない

酸素をエネルギーに変えるミトコンドリアを
自身の細胞に引き込んだ原生生物が
我々人間を含む真核生物の祖となるわけだが
その時点で今に至る生命は死による
淘汰のダイスを振り始めたわけである

現在の生命とはその偶然とも必然ともつかない
確率の連続で辿りついたものということになる

量子の世界
すべてを最小単位まで分解すると辿りつく世界

そこには有機物も無機物もない
気体も液体も個体もない

その区別すらなくした
ほぼ質量のない世界

ミクロの世界とマクロの世界は
その見え方が違うだけで
その世界の間に矛盾があることはあってはならない

しかしあまりにも微視的に観測をすれば
巨視的に世界では無視出来る問題が無視できなくなる

世界の力学を統一的に考える際に用いられる
「大きな力」
「小さな力」
「電磁力」
「引力」
そういったものに左右される

特に大きな力は
量子そのものを量子の形として
維持させる力であり
我々が質量と認識しているものの大部分である

物体の密度という話をすると
ある物体には多くの物質が緊密に密集している様を想像する

しかしよくよく考えるとこのイメージはおかしい
最終的に分解した物体には多い少ないがあるわけではないからだ

ではなぜ質量に違いが出たり
同じ分子の構造物である生命に個体差があるのか?

それは物質の構成量が違うからだと考えられてきたが
遺伝子構造の99.9%は同一であり
0.1%の違いがこの個体差を生んでいる

そう考えると我々の違いをもたらしているのは
「大きな力」や「小さな力」「電磁力」「引力」という
4つの力のによる関係性
量子の結び付きによって起きているのではないか
と推察される

では量子とは世界を自由運動しているのだろうか?
そもそも空間とはどう定義したらよいのだろうか?

すべての物体が量子で構成されている以上
何もない=質量がないに等しい
何かある=質量を持っている
ということに違いはないとまで言える

空間とは仕切られた場所のことであるが
量子の世界は最小限の単位であるため
仕切りそのものも量子で構成されている以上
区別することが出来ない

量子論の中では空間や時間という概念が
そもそも定義出来ないというわけである

ではそもそも物体の区別をつけるのは
何なのだろうか?

巨視的な世界では明確にある
空間という概念や個体差という区別を
あえて量子の概念で定義するのであれば
物の見方を変える必要がある

空間には何もないという前提を覆す
つまりあらゆる空間には
量子が満ちており
運動をしてはいないということ

空間がない以上
量子は壁でもあるし
光でもある
空気でもあるし
私でもある

そう考えると何かがあると考えるより
すべて量子で構成された無数の点が
特定の関係性をもって
その時点ではそうなっていると考える方が合理的である

つまり量子が運動しているわけではなく
量子の結び付きが変化しているだけである
量子論の世界ではエントロピーの増大という表現をする

エントロピーとは雑然さを指しており
宇宙が創生した時から宇宙を構成する
エントロピーは増大し続けていると考えるのである

つまり私が移動するのであれば
私を構成する量子が移動するわけではなく
その座標にある量子が
私を構成する量子の結び付きをもって
その場にいるだけなのである

言葉で説明するのはかなり難しいが
ブラウン管のRBGなどを想像すると理解が早い

TVの光はRGB(光の三原色 赤・緑・青)の
光線比率によって像を映している

別に光源そのものが移動しているわけではなく
そこにある光源が色の比率を変えているだけである

それと同じで量子もその場から移動しているわけではなく
壁を構成している量子の結び付きが壁を成し
空気を構成している量子の結び付きが空気を成し
私を構成している量子の結び付きが私を成しているのである

量子そのものにはほとんど質量がない
量子が集まって原子になって分子になって
さらに分子構造が物体を成す中で
その分子構造を維持するための「大きな力」が
その質量を成している

ネイティブアメリカンには
グレートスピリットへの尊崇という考えがある

自分のすべては宇宙のすべてを含んでいながら
自分にしか成り得ない

宇宙とすべては繋がっているという考え方
量子論でいうところの根源的な話に似ている

ネイティブアメリカンの方々は
こういうことを感性で理解していたのだろうか

私はこの考えに至った過程で
この論理を用いると
いわゆる霊的現象にも説明がつくことを理解した

量子がその場にあるもので
結び付きで存在・現象として
再現されるのであれば

量子が位置を変えているわけではない以上
結び付きの残響や残滓のようなものが
結び付きの近い人の感覚に作用するのではないかと
考えるようになった

「大きな力」を有するほどの結び付きがないから
質量をもったり実体がなかったり
音や感覚だけだったりするのではないか
それは実際に生きている生命や
存在する物質と構成が近しいものなのではないか

そう理解することで
不可思議な現象もある程度の許容をもって解釈出来る

量子論の一つの論点として
その解釈がある

量子のふるまいは実験から明らかではあるが
その内容を実際に観測することは不可能である

パラレルワールド理論に代表されるような
量子論の解釈問題は恐らく一生解決することはない

なぜならそれを目視で確認すること自体が不可能だからである
不可能なのであればそもそも
それを問題にする必要すらないのかもしれない

量子の世界の話も
存在は理解出来ても
それを実証したり観測することは
出来ないものとして理解するしかないのかもしれない

だとすれば
私のこの考えが正しいことの証明は出来ないまでも
間違っているという証明もまた出来ないことになる
つまりは考えても無駄ということである

長々思考して結末がそれかと呆れられた方もいるかもしれないが
量子の世界をマクロの世界で理解することは
そもそもがそういった曖昧な物事を腹落ちさせる必要があるのだ

世界の本当の姿が
私が考える量子で満ちた不確かな世界であるのか
物質世界の論理がその証明を得るのか
人間が数千年生きて出なかった答えが
人工知能のシンギュラリティによって
導き出される日が来るのかもしれない

信じるか信じないかはあなた次第だ

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