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成功しない人生の幸福とは

成功のない人生に意味はあるのか?

日本人はとかく成功者を賛美する
努力をし結果を出した者を称賛し迎合する

この考えこそ
人間の生き方を窮屈にしている要因なのではないかと思う

ではほとんどの人間は成功をしているといえるのか?
自分の周囲に成功者と言える人物が一体何人いるだろう
自分の肌感では99%の人間は何も成し得ないまま
人生を終えているように思える

何かは成さずとも
伴侶を得て子を成し家を買い
家族に見守られながら静かに死を迎える

それでも十分に幸福といえると考える人は多い

では成功の定義とはなんだろうか?
いわゆる科学的・世界的な発見
偉業と呼ばれるようなことを成し遂げた者

スポーツ選手でも科学者でも
成功とは自身だけで成し遂げるものではない

それに現在でこそ評価を受けている
画家や思想家達は当時はまったく
評価すらされていなかった人物も多い

本人が成功や偉業を認識していなくても
後世で認められることに何の意味があるのだろうか

それでも何かを成し得ないよりも
何かを成し得た方が良いのだろうか

そもそも何かを成すために人は生きているわけではない
人が生きたその過程もしくはその生涯を
人は成功や偉業と称するのだ

だとするならば成功者にとっては
結果の一部も自分の通過点に過ぎないし
死して功績を認められる場合も
本人にとっての成功ではない

成功者の考えや感性
生きていく中で努力など認めるところは多くとも
多くの人はその過程を体験することはない

平和な国に生まれ
ある程度の所得のある世帯で生まれた子供が
貧困の国に生まれ
物心もつかない歳で命を失うことを
哀れに思うのも自分を幸運に思うのも
どちらも大きな勘違いだ

人に限らず
すべての生物は生み出された場所
生きていく場所でその一生を終える
環境が違うのは当たり前だ

残酷な話かもしれないが
それが現実であり何十億年も繰り返してきた
生物の営み
神のダイスの結果なのだ

では短い命に意味はないのか?
そんなことはない

今日に至るまで平均寿命は延び続け
その過程で多くの命が生まれては消えていった

それも生み出され
生活をし行動し
結果を生み出し続けてきたのだ

あるものは淘汰され
あるものは理不尽に蹂躙された

それでもそこには生命の可能性がある
繰り返されるトライアル&エラー
スクラップビルド

その過程で生き残ってきた者達が
生かされた者達が
今の生命を紡いでいるのだ

だから生命は生き死ぬだけで意味がある
どんな命にも
どんな人生にも
それそのものが意味である

だからこそ
生きる過程で何かに縛られるのは
もうよそうじゃないか

イェール大学 助教授の
成田悠輔さんが繰り返し発言している

これからの人に求められるものは
既存の領域の中でいかに結果が出せるかを模索するのではなく
意味もわからず既存の領域の外に踏み出していく
いわば無謀で意味のないことを
空気を読まずに平然と行う精神性だと述べている

既存のパターンとしての成功にもはや意味などはなく
その領域外に広がる区域に
どれだけそれが無謀であろうとも
そもそも意味がないとされていることであっても
思考し挑んでいくことにこそ意味がある

もちろんこれも人生の一例だ
そんなクレイジーな人生を歩むことが出来るのも
一握りの人でしかない

その道が正しいのかどうかは
自分じゃない誰かが決める

ならば自分はその道がどこに通じていようが
どこにも通じていなくても
またそれが他人から非難を受ける道であっても
信じて歩んでいくしかない

成功が人生の評価にはならないことを
ぜひ一度意識してみてほしい
誰かの正しさに振り回されず
自分の正しさを信じて
結果は出ないかもしれない
どこにも辿り着かないかもしれない
それでも

誰かが認める幸福ではなく
自分が認める幸福であれば良い
ただ慢心せず
自分なりの努力で
日々成長して行けばいい

あなたの人生を誰かの物差しで
測らせることはない
自分だけがわかる
自分だけの生き方が
そこにはあるから

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