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三浦時明を推している人のブログ 2

(この記事は一年前に作成した「三浦時明を推している人のブログ」のリメイクです。リメイク元は文章が汚いから見なくてよろしい)

こんにちは。三浦時明を推している人です。三浦時明を推している人が推しているのは三浦時明です。
今回は初見さんにも優しい三浦時明の紹介記事となっております。
参考文献を最後に記載してありますのでよろしゅう。

時明のはじまり

まず身元ですが、時明の生年はわかっていません。鎌倉末期に得宗被官三浦氏の一族として惣領の時継の下で活動していたことはわかっています。
1331年、元弘の乱で挙兵した後醍醐天皇とその賛同勢力をしばきあげるために鎌倉幕府が各地に軍勢を派遣。時明もそのウェーブに乗っかり、笠置攻めに時継と共に従軍し、その2年後の1333年には楠木城(赤坂山城)に従軍。
割と頑張ってて萌える(当然)
さあ、この勢いで後醍醐天皇をやっつけろ!

鎌倉幕府滅亡

フラグ回収おつです。
そんなわけで前回までの努力も虚しく幕府は滅亡。かわいそう
そこで時明がとった行動はもちろん家の存続のため、後醍醐天皇の建武政権に馴染むことでした。
それが思いの外バチーンハマったらしく(多分家柄のおかげだけど)、見事関東の政権を守る警備機関「関東廂番」に仲間入り。
そんな華々しい立場のまま生涯を終えるんでしょうねぇきっと!!!!!!!!

中先代の乱

嘘である。

というわけで前政権の最強一族北条得宗家の嫡子北条時行が父祖伝来の地鎌倉を取り戻すため挙兵。それに諏訪大社の大祝諏訪頼重がついてきたってんだからたまらない。

さぁ、またも大事件が起こりましたがここで時明は…?

もちろん時行につくよなぁ!!??

はい。時行につきました。お茶目な子
その後、時明ちゃんの活躍もあってか無事鎌倉に入ることができた北条時行御一行。
そこでは時明ちゃんの領地から50貫を鶴岡八幡宮に寄進したり、かなり満喫してたっぽいですね。知らんけど
さて、鎌倉奪還しましたし、これで鎌倉幕府も復活ですねやったぜ

鎌倉追放

今回フラグ建てすぎだって!
でも、まあ、はい。もちろん無理…なんですよね。これが。
この大事件で後醍醐天皇の忠臣(大嘘)の足利尊氏が天皇無許可で出陣。これがまあ強かった。

しかしなんとここで時明が迎撃戦の総大将に任命されます。
ここは腕の見せどころだということで箱根にて待ち構えます。

負けました。

はい。負けましたね。結構ちゃんと。この戦でボロボロになった時明ちゃん。
やめて!足利尊氏の特殊能力で、鎌倉を焼き払われたら、闇のゲームで蛸壺と繋がってる時明の精神まで燃え尽きちゃう!

お願い、死なないで時明!

あんたが今ここで倒れたら、惣領時継さんや偉大なる主君北条様との約束はどうなっちゃうの?

ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、尊氏に勝てるんだから!

次回「時明死す」

デュエルスタンバイ!


これはただのネタとかじゃなくて、ほんとにこうなりました。辛くね?

というわけで時明は死んでしまいます。壺の中で死んだとか言われますね。ネタじゃん。

こんなあっさりとした終わり方ですが、時明は死んでしまったのでした。


おわりに

いかがでしたでしょうか?
いかがもなにもないですね。
人名の8割くらい「時」がついてて見づらかったでしょ。だよね。

こんな時明くんですが、まだまだ掘り下げられるかもしれないので今後の研究に期待しつつこの記事を〆とさせていただきます。ありがとうございました。


参考文献

横須賀市史 上巻
同 別巻
鎌倉市史 資料編1
鈴木由美著 中先代の乱

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