『からほら奇譚』第二話
からほら町の鬼門――北東に位置する山の麓に、洞宮神社は存在した。
ツムグの人生をねじ曲げた、忌まわしき場所である。ツムグはその洞宮神社の広々とした拝殿で、忌まわしき父親と相対していた。
「ご神体を授かってからわずか二ヶ月で、四人もの氏子を確保するとはね。ぐちぐち泣き言をこぼしていた割には、立派な成果じゃないか」
内心の知れない微笑をたたえながら、父親はそのように言い放った。
父親といっても血の繋がりはなく、年齢はせいぜい三十歳ていどだろう。その中性的な細面はむやみに造作が整っているが、長くのばした髪はツムグと同様の灰色をしている。そして、神官らしい白衣と袴に痩身を包んでおり、くったりと垂れた右袖が右腕の欠損を示していた。
「目標の百人まで、あと九十六人だな。その調子で、せいぜい励みなさい」
「……うるせーな。そんな御託を聞かせるために、わざわざ呼び出したのかよ?」
「いえ。実は、新たなあやかしが出現したようでね。情報提供者は社務所のほうに待たせているので、話を聞いてあげなさい」
「こっちは退院したてだってのに、また面倒ごとかよ。地獄に落ちやがれ、クソ神主」
ツムグがさっさと腰を上げると、父親は「待ちなさい」と悠揚せまらず声をあげた。
「今回は、町の名士が関わっている。我々とはゆかりの薄い一派なので、騒ぎにするとのちのち面倒だ。くれぐれも、穏便な解決を」
「そんな御託は、化け物に聞かせやがれ」
ツムグはそれだけ言い捨てて、拝殿を後にした。
玉砂利を敷きつめられた参道を抜けて、社務所を目指す。社務所というのは巫女などが常駐する事務所のような場所であったが――そこに待ち受けていたのは、制服姿の美空であった。
「なんだ、お前も呼び出されてたのかよ。……情報提供者ってのは、そのじーさんか?」
畳が敷かれた和室の部屋で美空と向かい合っているのは、すでに還暦を越えていそうなご老人であった。
頭はすっかり白くなっているが、背筋は真っ直ぐのびている。ツムグよりもよほど頑健そうなその体は、真っ黒の執事服に包まれていた。
「初めまして。私は鳴海と申します。以前はお父上に大変お世話になりました」
「あん? ってことは、つまり――」
「もう十年ばかりも昔の話となりますが、私の末の娘がお父上の氏子として迎えられることになったのです」
ツムグは灰色の頭をかき回しながら、どかりとあぐらをかいた。
「だったら、話ははえーな。今回は、どこのどいつが化け物に取り憑かれちまったんだ?」
「私が執事長を務めさせていただいているお屋敷の、お嬢様でございます」
鳴海老人は一切の動揺を見せることなく、ただ痛ましげな面持ちでそのように言いつのった。
「ことの始まりは……今から二週間ほど前のことです。当家のメイドが、お嬢様の異変に気づいたのです」
「待て待て。現代日本にメイドなんて職業が実在すんのか?」
「はい。正式な名称はハウスキーパーと申すのでしょうが……お館様の取り決めにより、当家ではメイドと呼称しております」
「そいつはけっこうな趣味で。……で?」
「はい。お嬢様のお体が、突如として光り始めたのです。最初は蛍のようにぼんやりとした光であったようですが……報告を受けた私が駆けつけた頃には、直視することも難しいほどの輝きになっておりました」
鳴海老人は、こらえかねたように息をついた。
「私はすぐに、あやかしに憑依されたものと察しました。それでお嬢様にもご説明をさしあげたのですが……その日から、お嬢様は離れの鍛錬場におこもりになられてしまったのです」
「たんれんじょう?」
「お嬢様は幼少のみぎりより、さまざまな武芸を習われていたのです。それで、きわめて剛勇な気性をされておりますため……余人の力を借りるには及ばず、己の力で克服してみせる、と……」
「そいつはとんだお嬢様だな。それで二週間も放置してたんなら、鍛錬場とやらも木っ端微塵なんじゃねーの?」
「いえ。今のところ、異常は見受けられないようです」
「へえ? 火が出たり、他の誰かが暴れたりもしなかったのかい?」
「はい。鍛錬場の外にも、いっさい被害は及んでおりません」
「ふーん。二週間も経ったら、化け物と完全に同調しちまうはずだけど……ぴかぴか光るだけで異常はなし、か。ずいぶん風変わりな化け物みてーだな」
ツムグは面白くもなさそうに肩をすくめた。
「で? そのお嬢様ってのは、どこの誰なんだい?」
「はい。宇都宮家の三女であらせられる、白蘭お嬢様と申します」
「うつのみや? びゃくらん? その御大層な名前は、なんか聞き覚えがあるな」
すると、美空が恐縮しながら発言した。
「う、宇都宮白蘭さんというのは、私たちの通う高校の生徒会長さんですね」
「ああ! あの、大富豪のお嬢様かよ!」
ツムグは高校で寝るばかりであったが、その名前は嫌でも耳に入っていた。容姿端麗、文武両道、品行方正、家柄抜群と、天から二物も三物も与えられた大人物であるというもっぱらの噂であったのだ。
「はは。そんな天下のお嬢様が化け物の餌食とは、ざまーねーな。今頃ぴかぴか光りながら、布団にくるまって泣きべそかいてるんじゃねーの?」
品性下劣なツムグは、つい嘲笑ってしまった。
いっぽう鳴海老人は、いよいよ真剣な顔つきになっている。
「私もお嬢様のご意向を第一にと考えておりましたが、もはや限界です。どうかお力添えをお願いできないでしょうか?」
「そりゃーまあ、それがこっちの仕事だからな。好きでやってる仕事じゃねーけどよ」
「ありがとうございます。……では、こちらを」
そう言って、鳴海老人はぱんぱんに膨らんだ風呂敷の包みを差し出してきたのだった。
◇◆◇
「うわあ! ツムグさん、めっちゃ可愛いッスね!」
その夜である。
ワゴン車の内部で着替えを済ませたツムグは、何度となく溜息をこぼすことになった。お屋敷に潜入するために、ツムグと美空と乙音の三名はメイドの制服たるエプロンドレスに着替えることに相成ったのだ。本日ツムグに準備されていたウィッグは、黒髪セミロングの内巻きゆるふわウェーブであった。
「……あのクソ親父は、すっかり新しい性癖に目覚めちまったみてーだな」
「いやいや。あの宇都宮家ってのは町一番のお大尽様だから、いつもの調子で騒ぎを起こすのはまずいらしいよ」
と、運転席で電子煙草の蒸気をふかしていた人物が、けだるげな声をあげた。
金色に染めた頭に古びたキャップをかぶり、スカジャンとタンクトップ、ダメージデニムにエンジニアブーツという、ワイルドなファッションに身を固めた若い女性である。
彼女は、駒形霧歌。ツムグにとっては、三番目の氏子であった。
「で、事情をわきまえてるのは執事長のじーさまだけだから、新人メイドのふりでもしないとお屋敷に入ることも難しいんだとさ」
「へー。でもそのお嬢様ってのは、もう二週間も前からぴかぴか光ってるんスよね? 家族連中には隠しようもないんじゃないんスか? 」
「家族はみんな忙しくて、ロクにお屋敷に戻ってこないらしいね。金持ちには金持ちの苦労ってのがあるんだろうさ」
霧歌と春清の気安いやりとりに、ツムグは憤懣を込めた声で割り込んだ。
「で? 俺がこんな格好をさせられてるのに、どうしてお前は呑気にしてやがるんだよ?」
「それはメイド服が三着しかなかったからだね。アタシのしょぼい力じゃあ、美空や乙音ほどのお役には立てないだろうからさ」
甘い香りの蒸気を撒き散らしながら、霧歌はにやりと不敵に笑った。
「ま、いざとなったら逃げてきな。どんな化け物でも、五人がかりなら何とかなるだろうさ」
「くたばりやがれ」と言い捨てて、ツムグはワゴン車を出た。
闇の向こうには、巨大な屋敷のシルエットが浮かびあがっている。そして、頑丈そうな門扉の向こう側から、黒い人影が近づいてきた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらに」
執事長の鳴海老人である。ツムグたち一行は門扉の電子ロックが解除されるのを待ってから、屋敷の敷地内に踏み込んだ。
そうして石畳の通路を進んでいくと、あちこちに監視カメラが設置されている。それでツムグたちも、このような変装を余儀なくされているのだ。ツムグとしては、カメラに向かって中指でも立てたい気分であった。
「こちらが鍛錬場となります」
やがて到着したのは、丸太造りのロッジを思わせる立派な建物であった。
窓には鎧戸が下ろされており、内部の様子はうかがえない。鳴海老人は緊張を隠せない面持ちで、玄関の扉をノックした。
「お嬢様、鳴海でございます。少々お邪魔してよろしいでしょうか?」
返答はない。
鳴海老人は意を決したように、スペアキーで扉を開いた。
扉の向こうは、道場のように広々とした板の間である。
そしてその中央に、凛とした面立ちの娘が白い道着と黒い袴の姿で座していた。
「鳴海か。……こちらには立ち寄らぬように言いつけておいたはずだが」
妙に時代がかった口調で、娘はそう言った。
照明が絞られた薄暗がりであるが、その美々しい姿ははっきりと見て取れる。艶やかな黒髪をポニーテールにした、その娘――宇都宮白蘭は、鋭い切れ長の目でツムグたちを見据えてきた。
あやかしの力は、いっさい感じられない。
しかし彼女は、下手なあやかしよりもよほど物騒な気迫を漂わせていた。
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