(旧)『からほら奇譚』第三話
「あんたが……宇都宮白蘭さんか」
ツムグがそろりと問いかけると、白蘭はほんの少しだけ首を傾げた。
「見慣れない顔だな。それに……使用人とは思えないような気配を纏っているようだが」
「執事長さんから事情は聞いてるんだろ。俺たちは、あの忌々しい神社の関係者だよ」
ツムグの返答に、白蘭はぴくりと眉を震わせた。
「洞宮神社の関係者か。わざわざご足労をいただいて恐縮だが……御覧の通り、私は自力での解決を目指している。そちらの助力は必要ないので、どうかお帰り願いたい」
「ふん。確かにどこも光っちゃいねーみたいだな」
ツムグが横目で鳴海老人を見やると、そちらはいくぶん動揺の気配をにじませていた。
「お、お嬢様。それでは、本当に……ご自分のお力であやかしの力を封じ込めることに成功されたのでしょうか?」
「ああ。まだ完全とは言い難いが、もう三日もあれば何とかなるだろう。鳴海にも、心配をかけてしまったな」
「待て待て。人間が化け物の力を制御できるわけねーんだよ。あくびや小便とはわけが違うんだからな」
白蘭の姿をじろじろと検分しながら、ツムグはそのように言いつのった。
「化け物の力ってのは、無意識の領域を支配するもんなんだからよ。カマイタチに憑依されれば人を切り刻むし、サトリに憑依されたら他人の心を盗み見る。あんただって、何かしらの悪さをしてるはずだ」
「私は、何もしていない。疑うのであれば、表の監視カメラでもチェックしてみてはどうかな?」
そのとき、美空が震える声で「本当です」とつぶやいた。
いつの間にか右目の眼帯が外されて、虚ろな瞳が白蘭の姿を見据えている。そしてその顔には、不審と驚嘆の表情が浮かべられていた。
「この人は、本当に自力であやかしの力を抑え込んでいるようです。……こんなことが、可能なのですか?」
「可能じゃねーよ。だったらこいつは最初から憑依されてなかったか、あるいは……別の誰かに調教された後ってこったな」
ツムグがそのように答えた瞬間、室内が黄金色の輝きに満たされた。
白蘭の身が、太陽のように輝き始めたのだ。
ツムグが慌てて右の袖をまくろうとすると――その輝きは、忽然と消え失せた。
「このように、不可思議な力はずいぶんコントロールが可能になった。あと三日もあれば、人前に出られるようになるだろう」
「そ、そんな馬鹿な話があるかよ! だったらやっぱり、他の誰かが調教を――」
「この二週間、私は誰にも会っていない。監視カメラが、その証拠だ」
白蘭の言葉に、美空が「本当です」と言葉を重ねる。
ツムグは邪魔くさいウィッグをむしり取って、それを板張りの床に叩きつけた。
「わかったよ。きっとそいつは、同調の進行がのろい化け物なんだろう。それでも自力の制御なんざいつまでも続かねーから、とっとと始末をつけさせてくれ」
「私の心は、私のものだ。誰の支配も受け入れるつもりはない」
「ああ、そーかよ。じゃ、力ずくで片付けるしかねーな」
「力ずくか。それは、危険だな」
白蘭は静かに座したまま、右手の人差し指を立てた。
すると今度は、その指の先端にだけ黄金色の輝きが灯り――さらに、バチバチと火花を散らした。
まるでそこに雷が凝り固まっているかのような迫力である。
今度こそ、ツムグは愕然と立ちすくむことになった。
「まさか……雷獣かよ? そいつは、S級の化け物だぞ!」
「そうか。道理で、手ごわいわけだ」
落ち着いた声で言いながら、白蘭は手を下ろした。
それと同時に、黄金色の輝きも消え失せる。後には妖力の気配も残されなかった。
「まあ、三日もあれば制御は可能だろう。どうかそれまで、時間をいただきたい」
「いや、無茶だろ! そんな強力な化け物の衝動を、人間なんざに制御できるもんか!」
ツムグは右の袖をまくって、羽山津見神を名乗る化け物の力を顕現させた。
右腕がぬめるように青白く輝き、ふた回りも大きくなる。そしてそのしなやかな指先が、虚空から宝剣をつかみ取った。
「ほう、それが君の能力か。これは確かに、私を脅かす力よりもさらに強力であるようだ」
「そうだよ。だから、大人しく調教されてくれ」
「それは、断る。私は、何者にも屈しない」
白蘭は、ゆらりと立ち上がる。
乙音が進み出ようとしたので、ツムグは「やめとけ」と左手で制した。
「ここまで妖力に差があったら、お前の芸も通用しねーよ。他の連中と一緒に、外に出とけ」
「いえ」と応じたのは、乙音ではなく美空であった。
「白蘭さんは、誰も傷つけたくないと考えています。だから、私たちが留まったほうがやりにくいと考えています」
「……なるほど。サトリというのは、君のことだったのだね」
白蘭が低い声でつぶやくと、美空はびくりと身をすくませた。
しかし、白蘭の表情に変化はない。
「まあいい。私はどれだけ心を覗かれても、何も恥じるものはない。君たちも君たちの信念に従って行動するといい」
「そんなもん、ねーよ!」と、ツムグは突進した。
相手がどれだけの化け物であろうと、ツムグに宿された化け物はその上をいっている。雷獣がS級なら、羽山津見神はSSS級なのだ。この宝剣であれば、雷獣の雷撃でも斬り伏せることができるはずであった。
しかし白蘭は、動こうとしない。その身が黄金色に発光することもなかった。
ツムグは内心で困惑しつつ、右腕の宝剣を振りかざす。
すると――がら空きになったツムグの胴体に、白蘭の蹴り足が叩き込まれた。
ツムグは二メートルばかりも吹き飛ばされて、板敷きの床を転がる。
白蘭は蹴り足を下ろしながら、「すまない」と言いたてた。
「ただ、加減はしたので骨などは折れていないはずだ。どうか、私のことは捨て置いてもらいたい」
「そういうわけには……いかねーんだよ……」
ツムグは吐き気をこらえながら、のろのろと身を起こした。
内臓がシェイクされたような心地である。たとえ化け物が相手であっても、これほどの苦痛を味わわされたことはなかなかなかったし――そしてこれは、化け物の力と関わりのない攻撃であった。
「君の右腕とその刀からはとてつもない力を感じるが、足さばきなどは素人そのものだ。これ以上、痛い目は見たくないだろう?」
「うるせー!」とわめきながら、ツムグは再び突進した。
しかし斬撃はかわされて、すれ違いざまに足を引っ掛けられてしまう。ツムグはぶざまに転倒した。
「私は護身のために、幼少の頃から数々の武芸を修めている。もうあきらめて、お帰り願えないだろうか?」
「だから、うるせーってんだよ!」
ツムグは化け物の膂力でもって、宝剣を振り回した。
しかし、白蘭には当たらない。ツムグが剣を振る前に、間合いの外に逃げているのだ。右腕だけが人外の膂力を備えていても、基本の身体能力に差がありすぎた。
すると、ツムグの左右から美空と乙音が現れる。
二人は同時に跳びかかったが、白蘭はステップのひとつで回避してしまった。
「何してんだ! お前らの出る幕かよ!」
「で、でも、白蘭さんがあやかしの力を使わないなら、私たちでもお役に立てるはずです」
「私たちでも、役に立てるはず」
「うん。さすがに鬼が三人では、分が悪い」
白蘭はすらりとした腕をのばして、美空の襟首をひっつかんだ。
そしてその身を、乙音に投げつける。木霊の能力に弾かれて、美空の身は逆方向に吹き飛ばされた。
「お前……木霊の力を知ってやがるのか?」
「いや。彼女は何か防御に自信がありそうな気配だったから、試してみただけのことだよ。察するに、相手の力を反射する能力であるようだね」
白蘭は、頭脳も明晰という評判であったのだ。
床に倒れて苦痛の声をあげている美空の姿を横目で見やってから、ツムグは「ちくしょうめ!」と白蘭に斬りかかった。
すると再び蹴り足が飛ばされて、さきほどと同じ場所を蹴り抜かれる。
ツムグが床に倒れ込むと、美空が「やめてください!」と悲鳴まじりの声をあげた。
「ツムグさんは、あなたのためにあやかしを調伏しようとしているんですよ! それなのに、こんなひどいことをするなんて……」
「いらぬ世話だ。私の心は、私が律する」
「そんなことは不可能だって、ツムグさんは知っているんです! だからあなたが誰かを傷つける前に、何とかしようと頑張っているんです!」
白蘭は、わずかに迷うような顔を見せた。
「きっと君たちは、本気で私の身を案じてくれているんだろうね。それなら……おたがい、譲歩しないか?」
「……譲歩?」
「私はこれまで通り、心の調律を試みる。君たちもこの場に留まって、それを見届けてほしい。それで私が、私ならぬものに心を奪われてしまいそうになったら……そのときこそ、君の手で始末をつけてもらえないだろうか?」
「……どっちみち、これ以上は暴れる余力もねーよ」
ツムグがそのように答えると、白蘭は「そうか」と微笑んだ。
思いがけないほど、澄みわたった微笑である。
そして――空気を引き裂く音色とともに、その左肩に矢が突き立った。
白蘭は苦痛のうめきをあげて、その場に膝をつく。
ツムグが愕然として背後を振り返ると、ボウガンを構えた鳴海老人が歪んだ顔で笑っていた。
そして、その顔が熱された蝋燭のようにどろどろと溶け崩れて――その下から、小面の能面が現れる。明らかに、それはあやかしの能力であった。
「まったく呑気な連中だネ。雷獣様には、とっとと覚醒していただこうじゃないか」
金属が軋むような甲高い声音で、能面の男はそう言った。
そして、床に膝をついた白蘭の体は――見る見る間に黄金色の輝きに包まれていった。
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