発達障がいを理解して欲しいとは言わないけど…

 なんだか、ネットニュースを見ると、発達障がいについて色々書かれてることが多い。ちょっとしたブームというか、それだけ関心があるから、テーマとして取り上げやすいのだろうか。

 今日読んだ記事では、自分と同じ年の発達障がいの人が、何度も転職を繰り返したことが書かれていた。障がい採用で入っても、結局は「普通」の人と同じ仕事や成果を要求されると。それが満たせないから、上司や同僚に役立たずだの、休んでばかりの怠け者だの言われてしまう。

 そんな中でも5年も仕事をしたのだから、引きこもりの私なんかと比べたら、どれほど我慢強いことかと感心するよりも、尊敬してしまう。

 でも、この記事にコメントするいわゆる「普通」の人はそうではないみたいだ。1番多く見られたコメントは、

「発達障がいを抱えてる人は、周りが配慮してることに気づいてない。」

 こう言ったコメントがすごく多いこと。まあ、そうだよね。「普通」の人からしたら、仕事に集中したいのに、発達障がいの人に迷惑かけられて、ペース乱されて、その上感謝も何もされないんだから。

 でもね、本当、言わせて。

周りの人の感情を読みすぎて萎縮して何もできなくなる人もいるから

 なんだか、そう言ったコメントしてる人って、発達障がいの人と多く接したのかな?なんか見てると1人の発達障がいの人をみて、全部を知った気で言ってるように思えるんだ。

 その1人を見て発達障がいは周りに配慮できない迷惑なやつなんだと決めつけてるように思えるんだ。

 でもね、たとえば僕は「自閉症スペクトラム症候群」だけど、


スペクトラムって連続とか、複数のものが相互に関わり合ってって言った意味なんだ

 つまりね、一つに症状が限定されてるわけじゃないんだ。こだわりが強いとか、社会性がないとか、異様な記憶力があるとか。今上げたものもさらに分類できて、こだわりと言っても、食べ物のこだわりなのか、場所のこだわりなのか、習慣のこだわりなのかとか、数字に強いのか、地理に強いのか、写真を撮るようになんでも覚えられるのか…キリがないんだ。

 何が原因でこのASDと診断されたのか。自分でもよく分からない。それを客観的に診断してくれる医師の先生も、実は深くまでは分からなかったりする。

 だから、発達障がいだから、周りの人を考えられないとか決めつけるのは、僕みたいなASDの人間からしたら耐えられない感覚だ。

 

だって、僕はこの障がいだと認定される前まで、人に気を遣ってばかりいたから。

 人の目を異様に気にしてしまうから、アルバイトも就活も、いやそれ以前に学校の授業とか友達との楽しいひと時とかでさえも、相手に異様に気を遣ってしまっていたから。自分のやりたいこと、言いたいことなんてうまく言えた試しがないんだ。

 常に相手が大切だと思ってた。というより、母親が小さな田舎育ちだったから、僕によく「人様を大切にしなさい。」なんて抽象的な教えを小さい時から刷り込んでたことが大きいかもしれない。

 何をするにも自分は後にする。何か人にされたら、必ずお返しをする。人が喜ぶことは積極的にする。笑顔を絶やさない。声の調子も良くする。僕は、いつも外の世界にいる時、演じてた。人様に出せるいい人を。

 このいい人をずーっと続けてきた。自分の意見は押し殺してきた。相手の意見に追従してきた。喧嘩したくなかった。人様が怒ったり泣いたりしたら、ものすごく傷ついた。自分のせいで人様が怒ってる。泣いている。

 僕はそういう時になればなるほど、自分を責めるようになった。

 そして、今日まで30年、いまだ忘れようにも忘れられないくらい、突然なんの前触れもなく思い出される記憶として、積み重なってる。

 記憶の本棚は無限で、悪い記憶が更新されれば、本は増える。その本を取り出すのは、いつも決まっていない。

 悪い記憶のほとんどが、人様との交わりの中での出来事ばかり。そして、それを思い返すたび、僕は胸が締め付けられる。何度も何度も忘れようとした。趣味に走って忘れられると思った。でも、ふとした時にやっぱり思い出す。

 僕は、小学校の頃いじめを2年間受けた。辛かった。怖かった。人様を怒らせたくないと余計に思うようになった。そしたら、ますます自分を出せなくなった。もはや、自分は自分の手を離れ、人様の手の中に入っていった。

 僕は人様が勉強し運動し「普通」に青春をし、就職してお金を稼いで結婚して子育てして介護をして介護をされて死んでいくのなら、僕も同じように生きないとと思った。そして、その人生の中で人様に嫌われないように、安心して生きたいと思った。

 でも、それが受験と就活で変わった。特に就活で。人様の面接に向けて一生懸命準備した。思いっきり愛想良くいい人を演じた。でも、通じなかった。僕は人様からは空っぽの人間に思われた。2年で100社以上面接した。全てダメだった。いざ人様の前で話そうとすると、うまく話せない。緊張がものすごい。それでも丁寧な言葉でニコニコ、相手を見て、誠実そうに…

 

ああ、疲れた。

それが感想だ。炎天下の中、エリクルートスーツで歩き回ったこともあった。なけなしのお金を使って、新幹線で他県に面接に行ったりもした。でも、どんなに人様に気を遣っても、上手くいかなかった。僕は間違ってたのだろうか。そう思うと、今までの20年、なんのために生きてたのだろうか?人様?ふざけるな!

 僕も、傍若無人になれるものならなりたい。でもなれない。だって、人様を怒らせたくないから。

 同じ世代のネットのインフルエンサーたちは、なんと自己主張が強く、人様の悪口を言ったりして、人様を蹴落としてでもお金を稼ぎ、なんと羨ましいことか。僕もあんなふうに自分勝手になりたいなんて何度も思った。でも、なれないんだ。人様が怖いから。

 

何度も何度も言うよ。僕は人様に気を遣って生きてきた。そして、自分は空っぽなことに気づいた。

 そして、今まで色々と感じていた違和感が一気に爆発した。こだわりの強さ、社会性のなさ、想像力のなさ…。そう言ったものを医師の先生に伝えようとしたが、やっと分かってくれたのは5年経ってからだった。人様に自分の意思を伝えるのが、これほど困難だとは思わなかった。いや、だから面接に落ちたのかも…

 改めて言いたい。僕みたいに人様が怖くて、人様の一挙手一投足を見過ぎで、萎縮する発達障がいの人間もいる、

 もし僕が障がい採用で働けても、職場の人にやっぱり気を遣いすぎると思う。そのせいで、分からないことを聞けなかったり、できないことをできるとか無理に嘘ついたりとかして、結局迷惑かけちゃうと思う。

 それなら、もういっそのこと、人様に迷惑かけないで、ひっそり生きたいと、馬鹿なことだけど、そんなふうに思っちゃうんだ。

 生きることが大変なのはわかる。でも、僕は人様に怒られること、泣かれることが1番堪える。それをされた時、僕は頭でいくら打ち消そうとしても消えないし、思うように動けなくなってしまう。

 本当、欲を出していいなら、僕だけのペースで働きたい。迷惑かけるけど、かけてもいいよと言ってくれる人がいるところで働きたい。

 でも、そんなこと言うのは、やっぱり甘えなんだよね。。



 

 

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