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戦国その15 甲信飛駿遠三濃の覇王 武田家(諏訪勝頼)の家臣団と軍団

武田信玄・諏訪勝頼の家臣団、信濃の国人(小笠原・村上)衆、真田昌幸の家臣団と軍団のページです。

「梵天、帝釈天、四大天皇、八幡大菩薩、富士浅間大菩薩、
諏訪上下大明神、

三嶋大明神、飯縄戸隠大権現、堅老地神、摩利支天、天満大自在天神、
甲州一二三大明神、ご照覧あれ。」

武田信玄の家臣団と軍団その2

<武田家信濃先方衆/信濃国人衆>

⇔於曾* (*~1552)尾曾・(板垣)・源八郎。1552年村上義清の居城・葛尾城攻略後の城主に抜擢される。長尾景虎の協力を得た義清の反撃で葛尾城は落城し戦死する。<板垣信安(源八郎)の一門か。世代的に信安の父か?。><北信濃村上領の旗頭が真田に落ち着くまでの旗頭。信濃経営は基本的に板垣家の管轄なのでしょう。>

(諏訪先方衆)

 <旗頭> 板垣・諸角・諏訪勝頼 武田時代:諏訪50騎衆を形成。

↓矢島満清 (*)禰宜大夫。諏訪上社の禰宜。諏訪大祝家と対立。1542年高遠頼継とともに諏訪頼重に叛乱。武田家に臣従する。1546年高遠頼継と結び反乱。<矢島満綱は諏訪頼忠の家臣。>

↓守矢頼真 (1500*1505~1550*1597)頼実。諏訪社家の神長官。上社の神長。守矢有実の息。諏訪大祝家に従う。親武田派。1538年諏訪頼高を大祝に擁立。1544年武田家に叛した高遠頼継に居館を襲撃される。1548年小笠原長時の侵攻を上原城にて撃退。息に信真(頼昌?)。孫に頼親。

守矢信真 (*)禰宜大夫。親武田派。守矢頼真の息。1548年小笠原長時の侵攻を上原城にて撃退。1559年家督相続。武田家滅亡後、諏訪氏再興の為、頼忠に協力。<武田家にとっては有力な協力者。>

大祝義視 (*)諏訪上社の禰宜。1542年大祝職は頼重の弟・頼高が自害し空位。1561年第4回「川中島の合戦」に従軍。<満隣と同一人物ということでしょうか。頼忠が相続する以前に一代、別家の人間をはさむということか・・。>

↓▽大祝頼忠 (1536~1605)諏訪頼忠・安芸守。満隣の息(頼高の実子で満隣に後見されていたとも)1582年本能寺の変後に高島城入城。息に頼水。<秀吉世代ですね。>

↓○諏訪満隆 (*~1546)薩摩守。諏訪家一門衆。1544年高遠頼継、頼宗の反乱を鎮圧。1546年晴信により誅殺される。高島城主。<武田家にとっては有力な協力者。>

↓○諏訪満隣 (*~1582)新次郎・伊豆守・竺渓斎・満親。諏訪頼満(頼光)の息(次男)。1542年武田家に降伏臣従。1544年高遠頼継、頼宗の反乱を鎮圧。息に頼豊、(大祝)頼忠。<武田家にとっては有力な協力者。>

↓▽諏訪頼豊 (*~1582)越中守。諏訪満隣の息。弟に諏訪頼清、頼忠。武田家に従う。織田信忠の「甲斐乱入」で頼清とともに討死。家督は弟の頼忠が継承。<武田家にとっては有力な協力者。>

(諏訪上社)

36騎 越前国朝倉家初期家臣に神氏あり。神「じん」ではなく「すわ」と読む。

千野* (*)神・(茅野)・丹波。「御衣着祝」家。諏訪頼重の家臣。武田家に従う。有賀城主。<靫負尉と同一人物でしょうか。><諏訪頼忠の家臣に千野(茅野)丹波・房清あり。>

千野* (*)神・(茅野)・靫負尉。武田家に従い、諏訪侵攻の先陣を勤める。1548年小笠原長時の侵攻を上原城にて撃退。1549年軍功により有賀城主。<丹波と同一人物でしょうか。>

▲千野* (*~1544)神・(茅野)・山城入道・宗光。諏訪頼重の家臣。武田家に従う。のち1544年反武田に転じ反乱。板垣信形により鎮圧される。

▲千野* (*~*1544)神・(茅野)・伊豆守・伊豆入道。諏訪上社。「御衣着祝」家。南明庵と兄弟。諏訪頼重の家臣。武田家に従う。兄弟で高遠頼継の鎮圧に向かい戦死。<諏訪頼忠を擁立し千野左兵衛(伊豆守)・昌房が諏訪家再興に尽力。>

千野昌長 (1517~1552)神・(茅野)・左兵衛尉。諏訪頼重の家臣。武田家に従う。息に頼昌。<昌長と光弘は同一人物でしょうか?左兵衛=伊豆守つながりです。>

千野光弘 (*)神・(茅野)・伊豆守。武田家に従う。息に千野昌房。<諏訪頼忠を擁立し千野左兵衛(伊豆守)・昌房が諏訪家再興に尽力。>

小坂* (*~*1548)神・藤三。諏訪神社御頭勤仕。上社西方衆のひとり。小坂城主。1548年7月小笠原長時に通じ謀反。

有賀* (*~*1548)紀伊守。上社西方衆のひとり。1548年7月小笠原長時に通じ謀反。

矢島* (*~*1548)織部丞。上社西方衆のひとり。1548年7月小笠原長時に通じ謀反。

花岡* (*~*1548)神・藤兵衛。上社奉行家。上社西方衆のひとり。1548年7月小笠原長時に通じ謀反。

牛山・山中<山中幸利は諏訪頼忠の家臣で武蔵移封に従う。>・金子・長田・田辺・鮎沢・小井弓・守屋・村岡。

(諏訪下社)

14騎

金刺昌春 (1490~1531*1552)諏訪・右馬助。金刺諏訪大祝家。諏訪下社。盛昌の息。1525年武田信虎を頼り甲州落ち。山吹城主。息に晴長。孫に豊保、(武居)善政、堯存。<武田家にとっては有力な協力者。><1531年昌春は甲州の乱で戦死するとも。>

金刺晴長 (*)諏訪。金刺諏訪大祝家。諏訪下社。昌春の息。諏訪下社。1542年武田家に従う。息に大祝右馬助・豊保、(武居)善政、堯存。山吹城主。<諏訪に戻る以前から一門が分裂していたのでしょうか。1542年に当時大祝の堯存が高遠氏と結び晴信に討たれる。><豊保も大祝となっていますので家督争いの結果の共倒れでしょうか。>

諏訪* (*)金刺・大祝・右衛門尉。諏訪下社。1541年浄土宗知恩院開基を支援。<1542年大祝の堯存と同一人物か。><1542年以降、武居善政・豊政親子の子孫が下社大祝を継承。分家の今井氏から惣領となったらしく晴長の直系ではないかも。>

諏訪* (*)金刺・左近。諏訪下社。

諏訪* (*)金刺・藤七郎。諏訪下社。

大和* (*)監物。高島地頭。大和10余人衆を率いる。

高木・山田・中村・小口・横内・三沢・竹居・藤森。

(第弐世代)

⇔↓諏訪頼忠 50騎(1536~1605)安芸守。諏訪家庶流。諏訪頼豊の弟。大祝職を継承する。「本能寺の変」後、北条氏に従い、徳川家と抗戦。その後、徳川家に臣従。

▽沢 房重 (*)諏訪房重。諏訪家一門衆。諏訪頼忠の家臣。

▽鵜飼忠和 (*)うかい。諏訪頼忠の家臣。

▽両角重政 (*)諸角・もろずみ・木田。諏訪頼忠の家臣。<板垣信形の弟・両角が兄の留守居で諏訪の旗頭となったときに与えられた姓か。>

▽山中幸利 (*)諏訪頼忠の家臣。武蔵移封に従う。

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