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4世紀~9世紀 蝦夷奥州(陸奥)の豪族 阿弖流為の系譜と軍団


「此の奥の方より 海の北に幽に見渡さる地有」 -安倍頼良-

「陸奥ノ国ノ奥に有り、夷の地に差合たるにや有らむ」 -安倍宗任-


伝説伝承も取り上げると公言したのでとりあえず検討してみました。
<日本の列島の神々> 
 ムツハタレ 分布予想図 のちほど追加予定。



<神世伝説> 天照に反逆した6部族の王。六族(ムツ)・陸奥=ハタレ・酋長

ハルナ(ノ)ハハ ミチ (*)haruna/榛名(上野国榛名山?)。蛇(ハハ)神。6部族の王のひとり。日隅・日高見・香具山本国の豪族。ハルナモノマ族を率いる。伊吹戸(イブキド)主、熊野樟日(クマノクスヒ)、(タジカラオ)の軍に敗北。<東国に大勢力を持つようです。弱点は飯(米?)。><信濃から以北の民でしょうか。><葦原中津国の東方に住む一族でしょう。><のちの親大和朝廷の熟蝦夷=ハハミチの子孫でしょうか。>

シム(ノ)ミチ (*)simu/霊(シム)・錦大蛇(ニシキオロチ)。6部族の王のひとり。八岐(ヤマタ)族の首長(八俣とは素直に古代大和川のことでは?畿内の登美の一族では)。九千の司達を従える。カナサキ・スミヨロシ(金折・住吉翁)、経津主・建御雷(天ノ鹿児弓・天ノ羽羽矢)に敗北する。<御雷の子孫・天足別命の関東入りに抵抗した六氏族とも。六つ=陸奥へと。><ニシキ=大和磯城の豪族、東征前の旧支配者を指していたり・・。兄磯城に通じるとおもしろいですが。><弱点は葛(葛城?)。神武の代にも摂津や葛城に土蜘蛛はいますし・・。><葦原中津国、大大和豊秋津島の一族でしょう。>

イソラ(ノ)ミチ (*)isora/蛟(イソラ)・みずち。6部族の王のひとり。北陸から伊勢の安濃まで南下。経津主と合戦。<東国に大勢力を持つようです。><尾張氏族でしょうか。刺国につながるか。><蛟(イソラ)=竜(ヤマタノオロチ)を指す。弱点は蕗。><支配領域から、のちの猿田彦や、刺田比古に繋がる系譜でしょうか。><葦原中津国、大大和豊秋津島の一族でしょう。>

アエノ(ノ)ミチ (*)aeno・abeno/(天?)・(阿部)・アメエノ ミチ。鳴神・雷神・ハタタ神。6部族の王のひとり(中国地方?)。千磐谷(チワヤ)の豪族(美作国に千磐神社あり、もしくは出雲の千速〈チハヤ〉か)。伊吹戸(イブキド)主に敗北。<天(アエノ)ならば天日鉾に通じる意味でしょうか><秦に通じるのでしょうか、それとも葛城系の羽田か。「ちはやふる」の語源でもあるようです。><対抗勢力の伊吹は北近江の豪族のような・・、猿田彦に通じる王でしょうか。弱点は領巾。><アエノミチ→あわみ→近江とか。><葦原中津国、大大和豊秋津島の一族でしょう。>

イツナ(ノ)ミチ (*)itsuna/飯綱・(出雲?)6部族の王のひとり。伊予から紀伊国まで北上。建御雷と合戦。<四国の勢力が磯城と同盟していたのでしょうか。><出雲氏族でしょうか。弱点は奏。安房伊予ケ岳に飯綱権現もしくは少名彦が祀られると・・。古代水軍の神の関係でしょうか。><紀(葛城)氏か、大伴氏か・・><伊予ノフタナの島の一族でしょう。>

ミダル(ノ)キク ミチ (*)midaru kiku/海足 菊池。6部族の王のひとり。九州月隅国の豪族。三兄弟。キクツネ(菊池)軍を率い山背まで北上。九州の豪族・荷田麿(カダマロ)に敗北。<九州の内乱のようです。カダマロが主筋のようです。弱点は陰香。><月隅でツクシ、菊道から菊池とか。><筑前・筑後・肥後は朝廷の勢力圏外となりますね・・。><筑紫島の一族でしょう。>
 
《個人的感想》「ミチ」という名詞は、古事記にみえる「ミミ」に通じ、
神武天皇の皇子たちの名前の末尾につく官位名につながるのではないでしょうか。
 初期、六族(ムツ)陸奥(ハタレ)とは大和朝廷にとって「まつろわざる者=「天照神を祭らない人々」の総称だったんじゃないでしょうか。
 その分布はやはり関東・東北や、瀬戸内海西方、九州南部を示してるようです。関東・東北はのちの蝦夷でしょうし、九州南部は熊襲とよばれる人達のことでしょう。
 九州の部族は、婚姻関係を結び、一門となることも早かったでしょうが、陸奥の氏族とは、なかなか婚姻関係も結べず、いつまでも、ムツだったのでは,ないでしょうか。
 旧列島人というか、縄文人の系譜というか、六大集団があり、それに対して、大陸の渡来氏族を受け入れた北九州・畿内人との関係を意味しているのでしょうか。
 紀伊の「三足鳥」が、大陸の流民がもたらしたものなら、おもしろいですね。大陸の帝国に組み込まれることをよしとしない、「自由人」。 いろんな国の人が きっと新天地を求めてやってきてたのでしょう。
日本というのは、大陸にいられなくなった人達を受け入れる器の大きさをもって成立してるんじゃないでしょうか。
 それにしても、朝廷軍との戦いに、魔術・幻術を使うというのは、タイマ草を用いるシャーマンの一団ということを指しているのでしょうか。勝利のため戦闘中に、野原に自生している、幻覚を見せる草木やキノコを燃やしたのでしょうか。

<東の反逆者>
天津ノ甕星(アマツノ ミカホシ)amatsu mikahosi/ 天ノ香香背男 ame(no)kakaseo/。天津神。蝦夷の神。星(金星?)神。関東、常陸の大甕に封印された邪神。天ノ香香背男(アマノ カカセオ)と同一神。天羽槌雄神(天ノ羽雷・建葉槌命)により討伐される。<天津の神から国津の神に寝返ったため最悪の邪神とされるようです。><大伴の祖の天ノ香具山と名が似ています。天津甕星の子孫が佐伯部と関連があるなら、大伴と佐伯の関係がさかのぼれそうな・・(妄想。><葛城剣根の叔父が天津赤星という人物です。名前が似てる・・。><残存した天津王朝の亡命政権が関東にあったのかもしれませんね。>

<東国の天津神と土蜘蛛神>
天津ノ湯彦(アマツ ユヒコ) 天津神。蝦夷の神。子孫に阿枝・飽速玉男。<「国譲り」にかかわる天津国魂の系譜か><安芸国造・佐伯氏の先祖。><会津あたりの勇者。>

天津ノ立速男(アマツ タテハヤオ) 速経和気命・(建速雄?)。天津神。蝦夷の神。松沢(賀毘礼の峰)に降臨。<スサノオの飾り名は「建速」。勇者の意味か。><『常陸国風土記』に記される。>

久慈ノ魑魅 (クジノ オニ) 鬼。蝦夷の神。常陸の久慈郡のまつろわざる者。石(磐)の鏡を恐れて退散する。<鬼といえば吉備の鬼ノ城温羅と関連ありでしょうか。><鏡といえば畿内政権。>

夜刀ノ神 (ヤトノ  カミ) 常陸の佐伯・国巣(土蜘蛛)に信仰される神。角を持つ蛇。常陸行方(ナメカタ)郡のまつろわざる者。継体天皇の代に箭括氏麻多智(ヤハズノウジ マタチ)が入植した際に抗争があった。
<木にまつわり、根と関係する土と、樹木や葉の上の雲(天)と関連して土雲でしょうか(妄想。>

<関東に進行する大和朝廷軍>

⇔経津主(天ノ鹿児弓)建経津 大和朝廷軍。出雲国譲りの神話時代の武将。<「経津」=「臨(ふつ)」=剣の意味があるそうです。>

⇔建御雷(天ノ羽羽矢) 大和朝廷軍。出雲国譲りの神話時代の武将。

箭括ノ氏麻多智(ヤハズノ シマタチ) 大和朝廷軍の将軍。

⇔↓建借間ノ命(建鹿島命・タケカシマノミコト) 敬称略で、建ノ借間。大和朝廷軍。<「借間」、織田軍の伊勢攻略での尺間廻番衆の、尺間と関連は・・。ないかなあ・・。>

黒坂ノ命(クロサカノミコト) 大和朝廷軍。常陸国の佐伯の民衆を虐殺。

≪個人的感想≫ 大和朝廷が「正義」というわけでもないのでしょう。
 平和裏に政権に組み込まれることもあるかもしれませんが、いつの時代も「生きることは戦い」だったかもしれませんね。

<3世紀~4世紀 > 毛皮、刃子、ガラス玉、漆製品や、各種鉱物が流通。


<崇神天皇の代の東北土蜘蛛> 佐伯、越。


佐伯ノ夜尺斯 (*)ヤサカシ・国栖(クス)・土蜘蛛。夜刀神を信仰。関東の常陸の茨城行方の豪族。崇神天王の代に建借間命(建鹿島命・タケカシマノミコト)に討伐される。<四道将軍との関連がきになるところです。>

佐伯ノ夜筑斯 (*)ヤツクシ・国栖・土蜘蛛。夜刀神を信仰。関東の常陸の茨城行方の豪族。崇神の代に建借間命(建鹿島命・タケカシマノミコト)に討伐される。

越ノ八掬脛 (*)高志・夜都賀波岐・ヤツカハギ。・土蜘蛛。崇神の代に越の国の豪族。<脛=「宿禰」に通じる言葉でしょうか。>

<崇神天皇の代の朝廷軍>

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 ⇔大彦ノ命 (*)(物部・阿倍)・大毘古命。敬称略で、大彦。孝元天皇の息。兄弟に開化天皇。甥に彦坐王。朝廷軍の大将・「四道将軍」のひとり。甥の崇神天皇の命で北陸・高志道を平定。息に武渟川別(タケヌナカワワケ・阿倍氏の祖)。比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケ)。<東方に遠征した武将。>

⇔▽建沼河別ノ命 (*)(物部・阿倍)・武渟川別ノ命。敬称略で沼河別(ヌナガワコト)。大彦ノ命の息。朝廷軍の大将・「四道将軍」のひとり。東海道を平定。のち吉備津彦とともに出雲振根を討伐する。垂仁天皇から五大夫②に任命される。弟に比古伊那許士別命(ヒコイナコジワケ)。<阿倍氏の祖。大国主の妻が越の国のヌナガワヒメですから何か関係のある方なのでしょう。><東方に遠征した武将。>

⇔科野ノ建五百建ノ命 (*)信濃・武五百建ノ命。中山道の豪族。神八井耳命の子孫。崇神の代に信濃国造。<ヤマトタケルのように、タケ イスズタケル、もしくはタケイワケと呼ぶのでしょうか。><信濃と言えば、大国主の息子の建御名方。><大国主が若い頃を助けたのは、スサノオの息子の五十猛命大屋毘古だったような。信濃は古代出雲と関連し、大屋彦は・・。>

⇔久比岐ノ御矛ノ命 (*)大伴・大倭・ミホコ。北陸の豪族。椎根津彦の子孫。崇神の代に越後頚城国造。<大伴氏から分かれ紀氏に連なるとすれば、紀ノ御矛「キノミホコ」とでも呼べるのでしょうか。>

⇔高志深江ノ素都乃奈美留ノ命 (*)越・スツのナミル。北陸の豪族。道君の一門。崇神の代に越後国の深江国造。
3世紀頃からの倭(大和)崇神 古代豪族軍 ⇔「四道将軍」

⇔▽豊木入日子命 (*)(荒河)・豊城入彦命・豊城彦。崇神天皇の息。母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛。垂仁天皇の異母兄。東国に派遣され治政にあたる。息に大荒彦。<上毛野君、下毛野君の祖。><近江高島の大荒彦神社周辺は出身地でしょうか。毛野の大荒田別は神宮皇后の武将として活躍した人物か。のち近江佐々木氏が神仰しているようです。秦ノ河勝とも関連をもつようです。><常陸国佐志能神社に祀られる。>

⇔↓▽上毛野ノ彦狭嶋大荒彦ノ命 (*)(上毛野)・彦狭島ノ大荒彦。関東の豪族。豊木入日子(豊城入彦)の息。崇神の代に上野国造。

⇔知々夫ノ知知夫彦ノ命 (*)秩父ノ・秩父彦ノ命。関東の豪族。八意思金命の子孫。崇神の代に武蔵秩父の知々夫国造。<いろいろな婚姻関係を経て秩父の平氏に繋がるのでしょうね。>

⇔↑建借間ノ命 (*)建鹿島命・タケカシマノミコト。建御雷之男神の子孫。関東の茨城行方の豪族。崇神の代に夜尺斯・夜筑斯を討伐する。 <四道将軍との関連がきになるところです。>


<垂仁天皇の代の東北の土蜘蛛>


山ノ佐伯 (*)都知久母・夜都賀波岐。関東の豪族。茨城国巣。大臣の黒坂命に討伐される。

野ノ佐伯 (*)都知久母・夜都賀波岐。関東の豪族。茨城国巣。大臣の黒坂命に討伐される。

<第11代 垂仁天皇の代の朝廷軍>


⇔↑上毛野ノ彦狭嶋大荒彦ノ命 (*)(上毛野)・豊城。関東の豪族。豊城入彦の息。崇神の代に上野国造。息に彦狭嶋王。<能登の彦狭嶋命との関連も気になります。>

⇔石衝ノ別 (*)岩衝別・磐撞別・伊波都久和希・イワツク。母は山背大国不遅の娘・綺戸辺。妹に両道入姫命。妹婿に倭建命。近江高島郡、猿田彦の故地を領する。<三尾君(近江国高島郡)の祖。>

⇔▽石城ノ別 (*)岩城別・磐城別・伊波智和希・イワチ。石衝別の息。<羽咋君(羽咋国造)、國羽咋郡(能登)の祖。>

⇔▽那須ノ大臣命 (*)建沼河命の子孫。景行の代に(下野国)の那須国造。

⇔▽甲斐ノ塩海足尼 (*)塩海宿禰。沙本彦王(狭穂彦王)の子孫。知津彦公此の息。景行の代に甲斐国造。<足尼と書いて宿禰と読む。>

日本武尊伝説

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⇔倭建 (*)ヤマトタケル。関東遠征に陸奥(福島県)都々古山に「平国の鉾」を奉納する。倭建は「味鋤高彦根命」を祭るという。

4世紀初頭頃 「足尼」と書いて「宿祢(神官)」


<第13代 成務天皇の代の東北の豪族>


(北陸道)
佐渡ノ大荒木 (*)越の豪族。成務の代に佐渡国造。<805年の佐渡俘囚長、道公全成は子孫でしょうか。>

角鹿ノ建功狭日 (*)カヅノ。越の豪族。吉備ノ若武彦の孫。成務の代に越前国の角鹿(敦賀)国造。<出羽の国の鹿角との関連が気になるところです。><タケイサヒと読むか。>

高志ノ市入命 (*)古志・命(ミコト)。越の豪族。屋主田心命の子孫。成務の代に越前国の高志国造。

三国ノ若長足尼 (*)宗我・蘇我・若長宿禰。彦太人信命の4世孫。成務の代に(越前国)三国(三国湊)国造。<「足尼」とかいて「宿禰」のこと、神官の意味。><蘇我氏との関連が気になります。>

伊彌頭ノ大河音足尼 (*)蘇我・大河音宿禰。成務の代に(越中国射水)伊彌頭国造。<蘇我氏との関連が気になります。>

能等ノ彦狭嶋命 (*)能登。大入来命の子孫。成務の代に能登国造。<彦狭嶋ノ命は何世代かにわたる尊称なのでしょうか。>

(関東)
海上ノ忍立化多比命 (*)ウナカミ・兎上。関東の豪族。天穂日の子孫。成務の代に(上総国)上海上国国造。茨城の国巣(土蜘蛛)と抗争。<応神期に下海上国が分裂。>

武社ノ彦忍人命 (*)関東の豪族。彦伊祁都命の孫。成務の代に上総国の(武射)武社国国造。

新治ノ比奈羅布命  (*)ヒナラス。関東の豪族。美都呂岐命児の息。成務の代に(常陸国)新治国国造。

高ノ彌佐比命 (*)建御狭日命。関東の豪族。彌都侶岐の孫。成務の代に(常陸国)高ノ国造。

筑波ノ阿閇色命 (*)忍凝見命の孫。関東の豪族。(常陸国)筑波国造。
▽石城ノ建許呂命 (*)関東の豪族。天津彦根の子孫。(茨城国)石城国造。

▼師長ノ意富鷲意彌 (*)関東の豪族。天津彦根の子孫。建許呂命の息。師長国造。<関東圏でも「意富」の尊称が使用されます。>

▼馬来田ノ深河意彌 (*)関東の豪族。建許呂命の息。(上総国)馬来田国造。

▼須恵ノ大布日意彌 (*)関東の豪族。建許呂命の息。(上総国)須恵国造。

▼石背ノ建彌依米命 (*)関東の豪族。建許侶命児の息。石背国造。
▽无邪志ノ兄多毛比命 (*)岐閇ノ兄多毛比。関東の豪族。出雲二井之宇迦諸忍之神狭の子孫。成務の代に(武蔵国)无邪志国造。

▼胸刺ノ伊狭知直 (*)(武蔵)・牟耶志ノ伊狭知直。関東の豪族。岐閇ノ兄多毛比の息。成務の代に(武蔵国)胸刺国造。

▼波伯ノ大八木足尼 (*)岐閇ノ兄多毛比の息。関東の豪族。成務の代に(伯岐国)佐伯国造。

▼大嶋ノ穴委古命 (*)岐閇ノ兄多毛比の息。関東の豪族。成務の代に(周防国)大嶋国造。

▼菊麻ノ大鹿国直 (*)直(アタイ)。岐閇ノ兄多毛比の息。関東の豪族。成務の代に(上総国)菊麻国造。

▼相武ノ弟武彦 (*)武蔵ノ伊勢都彦の孫。関東の豪族。成務の代に(相模国)相武国造。

伊甚ノ伊己侶止 (*)夷隅。 関東の豪族。成務の代に上総国の夷隅国造。
仲ノ建借馬命 (*)命(ミコト)。那珂。関東の豪族。成務の代に常陸国の那珂国造。

▽久自ノ船瀬足尼  (*)物部。饒速日命の子孫。物部ノ伊香色雄命の孫。成務の代に(常陸国)久慈(久自)国造。

(関東の土蜘蛛)
薩都ノ土雲 (*)佐都・土蜘蛛。関東の豪族。茨城国巣。兎上(海上)軍により討伐される。<常陸国俘囚の意薩公との関連は・・。>

4世紀
<朝廷軍> 東山道15国都督


⇔彦狭嶋王 (*)(上毛野)・豊城。関東の王・大荒彦の息。崇神系・豊木(豊城)入彦命の孫。第12代・景行天皇から東山道15国都督を命じられる。息に御諸別王。孫に荒田別。<孝霊天皇の息に伊予に派遣された彦狭嶋ノ命あり。大和に残された遺領(屋敷)を継承するか?。>

⇔▽御諸別王 (*)上毛野・豊城。豊城入彦の子孫。彦狭嶋王の息。父と同じく東山道15国都督を命じられる。関東経営に活躍。息に荒田別王、鹿我別王。<稲背入彦命の息・男御諸別命は同一人物か、婿養子の意味か・・。>

(東国)
阿尺ノ比止禰命 (*)命(ミコト)。陸奥の豪族。天津湯彦(天湯津彦命)の子孫。成務の代に岩城(陸奥国)安積国国造。<子孫は倭建命に従い、のち安芸の国造家に。>

白河ノ塩伊乃 己自直 (*)直(アタイ)。陸奥の豪族。天津湯彦(天湯津彦命)の子孫。成務の代に岩城白河(陸奥国)白河国国造。<子孫は倭建命に従い、のち安芸の国造家に。>

思ノ志久麻彦 (*)陸奥の豪族。成務の代に思ノ国造。
染羽ノ足彦 (*)陸奥の豪族。成務の代に標津国造。
伊久ノ豊嶋 (*)陸奥の豪族。成務の代に伊久国造。
信夫ノ久麻 (*)陸奥の豪族。成務の代に岩城国造。
浮田ノ賀我王 (*)王(キミ)。崇神の子孫。成務の代に陸奥国宇田の国造。


4世紀中ごろ(東北北部、続縄文文化後半期圏内に)


第13代・成務天皇の弟、倭建ノ命・「大和武尊命」・ヤマトタケルノミコト「倭建ノ命の奥州征伐」 東北蝦夷は畿内に近いほうから熟蝦夷、麁蝦夷、都加留蝦夷に三大別される。

黒鷲 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。<「鷲」の取引が、臣従した証として後世に珍重されるような意味合いのある抗争が古代にあったのかもしれませんね。>

神衣媛 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。子孫は大和朝廷に従う。

草野灰 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。

保保吉灰 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。<ホホキドリと読むらしい。>

阿邪尓那媛 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。<アザマロの先祖かもしれないらしい。>

栲猪 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。

神石萱 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。子孫は大和朝廷に従う。

狭磯名 (*)陸奥の土蜘蛛。八人頭衆のひとり。先祖は朝廷の将・磐城彦を破る。八槻柵に拠る。景行天皇の命で倭建ノ命が討伐。

<第14代 仲哀天皇の代の朝廷軍> 「別」と書いて「河の主(ワケ)」

⇔▽足鏡ノ別 (*)蘆髪蒲見別・葦敢竈見別・別(ワケ)。倭建ノ命の息。兄の仲哀天皇に誅殺される。<関東にて御諸別王の子孫と抗争か。><下野の足利の地名へと繋がるか。>

⇔▽▽鎌倉之別 (*)足鏡別の息。<竈口君(相模鎌倉)の祖。>
⇔▽▽石代之別 (*)足鏡別の息。<都都古別、宇奈己呂和気の祖。(陸奥岩代)>

⇔▽▽漁田之別 (*)足鏡別の息。<鹿我別、賀我別、巫別、揮田君の祖。(陸奥宇多ほか)>

⇔▽大伴ノ武日 (*)大伴・(紀)・健日。豊日の息。弟に大伴ノ乎多氏。垂仁天皇から五大夫⑤に任命される。景行天皇の将。倭建ノ命に従い蝦夷征伐。越に派遣される。息に武以。播磨讃岐・伊予・安芸・阿波に移住させ佐伯部を設置。<鶴岡八幡宮の社家へと繋がる大伴(富永)氏。関東と古くからの縁があるのでしょう。戦国時代に江戸城主(富永氏)となるのも宿縁なのかもしれませんね。>

⇔▽吉備ノ武彦 (*)美濃にて、信濃から来た倭建ノ命に合流。伊勢に蝦夷を従え上洛。<君子部(吉弥候部)は吉備氏の部民でしょうか。>

4世紀後半から5世紀前半
<神功皇后 九州遠征軍>


⇔▽荒田ノ別 (*)上毛野荒田別・豊城。豊城(豊木)入彦系。関東の御諸別王の息。上毛野の豪族。神功皇后の将。息に上毛野竹葉瀬、上毛野田道。<豊城入彦の息に大荒田別あり。息に彦狭嶋王。世代的にその子孫か。>
  
⇔▽巫ノ別 (*)かんなぎのわけ。応神天皇に出仕。百済に派遣される。
⇔▽鹿我ノ別 (*)豊城。豊城(豊木)入彦系。関東の御諸別王の息。関東の豪族。神功皇后の将。<相馬。>

<東国>  「刀禰」と書いて「鍜治の頭」?
周防ノ加米乃意美 (*)カメノオミ。茨城国造分家。応神天皇の将。周防国造として派遣される。

菊多ノ屋主ノ刀禰 (*)建許呂命児の息。応神の代に道奥の(陸奥国)菊多国造。

岐閉ノ佐比ノ刀禰 (*)応神の代に道口の(常陸多珂)岐閉国造。
印波ノ伊都許利ノ命 (*)印旛。応神の代に下総国の印波(印旛)国造。
加宜ノ素都乃奈美留 (*)ナミル。能登国造の分家。仁徳の代に加宜国造。

下毛野ノ奈良ノ別 (*)豊城入彦の子孫。仁徳の代に下野(下毛野)国造。

4世紀後半~5世紀 「毛人」は「エミシ」と読むので「毛野」と書いて「エミノ」か。



<仁徳帝 朝廷軍の東征>


⇔荒田 田道 (*~375*)荒田・毛野・(多遅)・猿賀野・将軍。仁徳天皇(4・5世紀)により鹿角蝦夷討伐に派遣されるが、伊峙の水門(石野?)で戦死。息に奈良別。<荒田竹葉瀬の次男、上毛野(下毛野)田道と同一人物か。田辺氏と同族とも。><*没年がおかしいですね。>

<5C 蝦夷> 東北に古墳伝播
478年 倭王「武」 南宋に使者。自らの武威を自慢(東北の平定?)。

<5~6C 蝦夷の反乱>
物部 小事 (*)布都久留の息。兄に木蓮子。500年代(6世紀)前半、坂東進出に軍功。息に大国。

上毛野君小熊 (*)豊城。安閑天皇に出仕。535年「武藏国造の乱」に笠原小杵に与し敗北するか。屯倉を献上。

笠原小杵 (*)武蔵国造家。535年「武藏国造の乱」。跡継ぎ問題で兄・使主と抗争し、大和朝廷に反乱。上毛野ノ小熊と同盟。

笠原使主 (*)直。武蔵国造家。大和朝廷に従う。軍事支援の御礼に屯倉を献上する。

⇔蜂子皇子 (*562~*641)波知乃子王・「能除太子・羽黒能除仙」。崇峻天皇の皇子。母は大伴ノ糠手の娘(大伴ノ小手子)。592年崇峻帝が蘇我ノ馬子により暗殺される。出羽由良八乙女浦に落ちる。羽黒山に居し出羽三山(月「犂牛・黒牛」山・湯殿山)の開祖。605年湯殿山神社を建立。

魁帥 綾糟 (*)ひとこのかみ・大毛人(おおえみし)・アヤカス。東北蝦夷の俘囚長。581年反乱。敏達天皇の代、上洛し三輪山にて降伏を宣言、朝廷に帰順する。

上毛野 形名 (*)豊城・かみつけの・カタナ。舒明天皇に出仕。637年朝貢を拒否した蝦夷討伐の為東北に派遣される。647年渟足柵設置、648年磐舟柵設置。<荒田別の子孫か。>

655年斉明天皇、灘波にて北(越?)の蝦夷99人、東(陸奥?)の蝦夷95人、柵養(きかう)蝦夷9人、津刈蝦夷6人に官位を授ける。
659年蝦夷に津軽蝦夷、麁蝦夷、熟蝦夷の3部族あり。

<関東・東北古代氏族> 6世紀~9世紀


上毛野* (*)豊城・胆沢公・(カミツエミノ?)。蝦夷豪族。陸奥国胆沢郡を領する。5世紀に隆盛(雄略の時代)。<伝説上の人物。彦狭嶋王の子孫・上毛野田道の子孫が奥州まで北進したものか。><将軍・大野東人を輩出。>

遠田* (*)遠田君・臣・とおだ。遠田郡郡司家。遠田郡郡領。774年に金弓が朝廷に帰順。多賀城以北の代官。8世紀頃に遠田一族が陸奥支配の全盛期を築く。<胆沢柵の南部の豪族、後の奥州安倍氏と版図が重複するので、なにか関連あるか?><遠田公浄継を輩出。>

宇漢米* (*)宇漢米公・うかめ。陸奥奥郡の代官家。8世紀頃に隆盛。<版図が厨川柵の以北(東)なので、奥三郡の安倍氏に相当するか?><770年宇漢米公屈波宇、812年宇漢米公色男、838年に宇漢米公毛志を輩出。宇漢米公隱賀を輩出。>

爾散体* (*)仁左平・尓散体・爾散体公・にさちて・にさた。陸奥奥郡の代官家。8世紀頃に隆盛。811年に出羽守・大伴今人が爾薩体村を襲撃。<版図が厨川柵の以北(西)の仁左平なので、奥三郡の安倍氏に相当するか?>

爾散名* (*)仁左名・尓散南公・爾散南・にさな。陸奥奥郡(津軽地方?)の代官家。8世紀頃に隆盛。812年入京を許される。<版図から奥三郡の安倍氏に相当するか?><812年爾散南公独伎を輩出。爾散南公阿波蘇>
阿倍* (*)丈部(はせつかべ)・阿倍(阿部・安倍)陸奥臣。陸奥国白河郡の辺境開拓に従事。769年に阿部陸奥臣を賜う。<賀美郡の丈部国益、 標葉郡の丈部賀例努も阿倍姓を与えられる。><四道将軍・武沼川の勢力が磐城地方に到達していたのでしょうか。>

毛野* (*)君子部・吉弥候部・喜美候部(きみこべ)。吉弥候部の首長。<清原系に多いキビコの名称に関連するか。><吉彌侯部荒嶋を輩出。><多賀城以北の経営に関東の毛野氏が活躍したということでしょうか。><794年右京に住して諸天神女を自称し朝廷により土佐に流罪追放された上毛野兄国女あり。><奥州清原氏の重鎮、吉彦秀武に繋がるようです。>

丸子* (*)わにこ・(牡鹿・道嶋)。大伴氏族。丸子部の首長。<信濃・相模の古代氏族に丸子氏あり。><相模守に道嶋嶋足。のち源ノ義家に従い奥州征伐。>

<西の反逆者>
曽乃君牛養 (*)曽乃・うしかい。隼人の族長。大隅国曽於郡の大領。793年朝廷に帰順し官位(外従五位下)を与えられる。

北から ・津軽蝦夷 ・麁蝦夷 ・熟蝦夷 の3部族あり。

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蝦夷からみれば、それぞれの小部族の防衛ラインだったということでしょう。
坂東のまつろわざる人々(佐伯部先祖)に関連する人物

蕨手刀の発達

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