noteなら何を書いても良い。それが気楽で良い。

note を続けていて思うことがございました。
何について書いても良く、
まとまっていなくても良く、
少しだけでも良く、
こんな自由に書けることは
そうそうございません。

実際の紙のノートでしたら
もっと人に言えないようなことも書けるでしょうけど、
そんな動機やそもそもそんな考えもなく、
更にはスマホでねっ転がりながら書ける手軽さや
自分の汚い字を書く必要もなく、
入力の方がおそらく早く、修正も楽という
書く行為自体の便利さも嬉しく存じます。

いったい、今まで学校や社会では
何を書かされてきたのでしょうか。
書いたり話したりすることは
常に正解が求められてきたように感じます。

もちろん公式でない状況では
もう少しは自由ではございますが、
それでも常に誰かを意識して
言葉というものを出さなければならない思いでした。

言葉というものは
誰かに何かを伝えるための手段ではございます。
そして良い文章を書くにはそういったことが大事ということも伺います。

しかしながら、
誰か他人の前に伝えようとする前に、
自分で自分に対して
もう少し正確に表現しようと試みるなら、
言葉にさえなっていないものを整理して考えるという行為をするために、
言葉はあるように存じます。

世間に向ける言葉は、
しばらくそうやった遊びをしてからでも
良いのではないでしょうか。

頭の中の何かが言葉になり、
それが繋がって、
また別の言葉が連想されて、
また繋がって連想されて、
どんどんと発展していく。

そういう機会としてここがとても居心地がよいように感じます。

うまい文章、綺麗な表現、
深い考え、奥底の想いなど
世の中には憧れるようなもの、驚き畏れてしまうようなものがたくさんございますが、
この自分のページでは駄文でも構わないのです。
なんなら書かなくてもよろしい。

なんて気楽で素晴らしいのでしょうか。
この気楽さが一年半以上続いている理由の一つにあるように存じます。

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