素人の考古学―神奈川県伊勢原市比々多地区の遺跡群
比々多地域は神奈川県内屈指の古墳群が点在し、古代文化発祥の地。
多くの威信材が出土するなど相模の最高権力者の古墳がある。
この辺りは郡衙があったところで相模地方の中心地であったと考えられる。
➀小古墳群の石材が露出
鈴川の西岸には大型の円墳が多いが、東岸には小円墳が多い。
70基以上あったが現在は数基のみ。
鈴川の西岸とは時代や文化が大きく異なり比々多地域には属さないかも知れない。
➁心敬塚古墳
20x5mの円墳、周囲に数基の陪塚があったらしい。
未調査のため詳細不明。
大田道灌とも交流があった京都の歌人心敬の塚がある。
➂松山古墳
➃ 比々多神社
相模国の三之宮で崇神天皇の時代の創建とある。
この辺りは郡衙があったところで相模地方の中心地であったと考えられる。
周辺には360基の古墳があったそうで、それらの遺品を守る為、先代の神主が私費を投じて宝物館を作り、国宝級の遺品を守っている。
裏手に縄文~古墳時代の遺構がある。
縄文時代のストーンサークル:東北地方には見られるが、関東では数カ所しかない。
三之宮3号墳:墳頂は消失しているが、横穴式石室の状態がよくわかる。
20mの円墳。全長6.8m幅1.3mの無袖式横穴式石室。
➄比々多神社元宮
パワースポットとして若い人に人気。標高105m。
相模国の一之宮(寒川神社)、二之宮(川匂神社)、三之宮(比々多神社)が年一回集まって国府祭が盛大に行われるが、その際使われる茅はここから持ってゆく。
⑥埒免(らちめん)古墳の横穴式石室
6~7世紀の築造の直径40ⅿの円墳。片袖式横穴式石室。
金銅製の馬具や太刀、銅鏡などが出土し、相模地方を治めた最高権力者(相武国造)が葬られていたと考えられる。元恵泉女学園短期大学の構内にある。
⑦登尾山(とおのやま)古墳
大磯丘陵から相模湾、江の島、三浦半島まで望むことができる。標高110m。
6c末。両袖式横穴石室。出土物は埒免古墳に劣らず、金銅製馬具や銅碗、装飾太刀など。周辺には家形埴輪や人物埴輪。
被葬者は6c後半~7cにかけて、相模地域を支配した最高権力者(国造)であったと考えられる。
⑧尾根山古墳
標高150mの尾根山には6基の古墳があったが現在4基が調査されている。
各古墳の石室はいずれも川原石を用いた横穴式石室だが、その形は長方形、正方形、袖を有するものなどさまざま。
出土品は大刀、耳環、勾玉など装飾品、須恵器、土師器など。
6c末~7c頃築成。
伊勢原市比々多地域の遺跡は、縄文時代草創期から奈良・平安時代中世までの各時期の遺物が確認されている。
その長い歴史と多様な遺物により、地域の歴史と文化を深く理解するための重要な窓口となっている。
以上
小兵衛