よし、ボートだ!第7話

ゆうじは、新聞配達をしている。

ゆうじは腕の良い旋盤工だった。
工業高校を卒業し、地元の町工場に勤めた。小さい工場だったが、世界的な大企業や海外の今で言うスタートアップとも取引する、山椒は小粒でピリリと辛い職場だった。

ある日、資材を山積みにした台車を押してきた同僚が誤ってそれをひっくり返す。下敷きにはならなかったが左腕を弾かれ、旋盤に持っていかれた。
「いや、一瞬で」
左手の小指、薬指、そして中指を半分がた失った。
完全な労災だが、当時の慣習や暗黙の了解や、つまり大人の事情で僅かながらの見舞金が支払われて手打ちとなった。
小指を失くしたのが大きく、「まったく力、入らなくなって」配置が変わる。
しばらくは勤めたが、仕事にも慣れないし、皆も腫れ物にさわるような扱いだしやはり居辛い、退職して実家に帰った。

左手は用を成さないが、障害年金は出なかった。「なんか、反対側から無くなってたら出たんだけど・・」、おんなじように障害が残っても親指からでないとダメ、対象にならないそうだ。
理不尽と言えば、理不尽。
この国は冷たいなぁ、などと飲んでいたら書士のたぶっちゃんが「あれ、いけるはず」と障害一時金を請求し、首尾よくざっと100万円ほどをゆうじは手にした。

そんなこんなで我々とゆうじは仲間になった。
つまり、ゆうじに競艇を覚えさせたのは僕たちだ、ということになる。良くない話だね、まったく。

ゆうじの競艇は手堅い。基本イン3艇勝負だ。朝の配達を済ませ、少し眠る。1Rに合わせて来場し、5Rあたりまでを慌ただしく楽しんだら、急いで帰る。夕刊の準備の時間が迫るからだ。どうしたって堅くなる。

ゆうじの実家は、地域の新聞配達所を営んでいるのだ。したがって、優勝戦など観戦したこともなければ、仲間とビールを飲んだり肴をつまんだりもない。
なにが面白いんだ、と教えた身ながら不思議に思っていた。


ある日、ゆうじは真新しいスーパーカブに乗って競艇場に現れた。
「やっと買えました、」
最初の一勝以来配当には手を付けず、こつこつと3年近くためた金で手に入れたという。
「うちの商売、儲からんからね。」
競艇で商売道具を買うヤツがいるとは。ちょっと信じられなかった。

ちゃんとした男ゆうじ。
きびしい環境の中、家業を継いだゆうじ。
今はどうしているのか・・

実家のあった場所には流行りのタワマンが立っている。



(了)







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