健全な生活をするということ

健全で健康的な生活。世間的に言われている体にいいものを食べるとか、夜早く寝て朝早く起きるとかではなくて、個人的に心が心地いい生き方をしようとする試みのことをいいます。僕は夜型だと自分で思っていましたが、最近は違うようで、朝5時に起きてすぐ執筆をすると「心が気持ちいい」と感じることを気づきました。いつもは昼頃に起きていたのですが、そうすると惰眠なんですね。ベッドからなかなか起き上がれません。スマホ触ったりして一時間したら起き上がるみたいな。でも、五時に目が覚めるとスッと起き上がれるんです。そうやって、まずは自分がすっと起き上がれる時間を探す。夜でも構いません。そしてすぐ執筆を始めるのですが、これは2時間くらいがちょうどいいかな。二時間で原稿用紙20枚分。でも毎日は疲れると思うからマストは10枚分かな。ささっと自分の生活をたちあげます。それから何しよう。太陽が出ているころだから一旦外に出たいな。そうすると一日が気持ちいいから。こんな風に、なんとなくでいいです。なんとなくが心地いい。毎日やる前提で立ち上げるのがいいでしょう。毎日幸せなことをできたら健康的でしょう?あと、僕の場合は新しいことを始めるのがいい。もともと飽き性で脳内パワフルだから新しい刺激を脳に送って多彩な生活にするといいな。朝はコーヒーを飲もう。おいしい。自分が健康的な生活をしているかどうかは、自分の言葉遣い、目、うそをついてるか否か、などで分かります。簡単に言えば物語の中のキャラクターになっているかどうか。キャラクターはいつだって健全です。自分に噓をついたりしないし、きれいな目をしています。そしてそのキャラクターになるように生活を模索していくのが人生と言えるでしょう。なんとなく気持ち悪いな、これ。というのを除外していきましょう。僕は健康には全く興味なくて、毎日好きなものを食べています。お菓子を食べて生活するなんて全然あります。タバコも最近は一日一箱です。だけど心の健康には幼いころからすごく気を使っています。自分が心地いいかどうかで判断しています。おかげで肌が荒れたことが一回もありません。基本、他人が心地よくなると自分も心地よくなるのが普通です。だから他人にも気遣うようになります、が、それも自分のためです。僕はすごく自己中心的で「人のために!」という心情が全く分かりません。自分のためでしょ?と昔から本気で思ってました。でもそういった人種も存在するようで、口には出さないようにしました。でも、僕は行き過ぎたとこもあって自分を犠牲にしてまで他人を助けるのが常です。その時は「我慢」してしまっています。我慢は健康的ではありません。こうすると、お前は甘えていると語る人がいます。そうです、甘えています。それも健康的に甘えています。自分もみんなも心地よく甘えれるのが一番いいです。だめなのはきっと、不健全に甘えることでしょう。それは社会的によくないとかじゃなく、自分が心地よくない、というのがポイントです。しかもそれは簡単には気づかないようにできてます。自分が自分にうそをついてるからです。太陽の下で散歩してそれからは絵を書こうかな。水彩画も色鉛筆もやろう。そしたら絵を友達に送ろう。こうやって浅く広く生活を華やかにする。毎日健康だよ!と人に知らせる。これは義務です。仕事です。社会の仕事は適当に済ませて、自分の仕事を真剣にやる。もちろん、社会の仕事をしないという手もあります。生活保護というのがあるのですが僕は体が動くうちは働こうと決めました。でもどうしようもなくなったら生活保護に頼ろうとクッションを置いておくのです。そうするだけで安心して生活できる。健康的な生活は基本、お金がかかりません。自分の欲しいものは自分で作るし、買いたいものじゃなくてやりたいことが増えるからです。とにかくいろんなことをフラフラと適当にやるのがよろしい。あ、気持ちいいというのが見つかる。それを生活に取り組む。毎日が心地いい。心の平穏。さて、絵を書いて友達に送って「いいね」の返信をもらい、次は何しようか。作曲をしよう。最近始めたのはDTMといってパソコンで音楽を作るのにはまっている。結構時間がかかるから5時間くらいやる。夕方だ。僕は将来、本と絵を売って、音楽を作って生活したい。今はホテルで働いているが、将来はそうでありたい。将来の夢を持つことは大事ですがより大事なのはそれを生活に取り組むこと。でも今しか見ないこと。最初の一回だけ未来を決めて、どうすればそこに行けるかなと考えて生活を作る。仕事の日の一日はこうだ。朝は4時に起きる。朝が長いほうがいい。執筆をする。6時になったら電車に乗ってホテルに向かう。8時間働いて16時半に家に着く。作曲5時間、その間は疲れたら絵を描くという感じ。9時からは友達と通話する。そして寝る。23時とか0時くらい。僕は多分ショートスリーパーってやつで短時間の睡眠でも十分活動できるのでラッキーだった。週6で働く。毎日決まったことをすると心が多彩になる。それでいて健康だからお金もたまる。お金がたまると嬉しいことに気付く。とにかく心が大事で、そのためなら何でもする。僕はいつ死ぬかを事前に決めている。43歳だ。だから僕の寿命はあと23年。僕はすぐに不安になる。この先のよくわからない人生に対する漠然とした不安だ。だからゴールをきちんと決めておく。僕のお父さんもその歳で亡くなった。でも僕は悲しくなかった。涙も出てこなかったし葬式でも笑っていた。当時中学2年生である。楽になれたんだなと本気で思っていた。人生は楽しいが、生きているとつらい。生きているのは何となく悲しいことなんだと物心ついた時からそう思っている。パピーは今でも横にいる。空を見上げたりしたが、その時は見当たらなかった。ギターを弾いて即興で歌っていると後ろからドラムの音が聞こえた。パピーがドラムをたたいていた。僕は涙が出た。でもこれは僕のじゃなくてパピーの涙である。それ以来、ずっと近くにいると感じることができた。僕が43歳で死ぬと書いたら悲しそうにしている。でもお構いなし。これは僕の人生なんだし。不健康な生活とはどういったものか。自分の気持ちよくない生活である。何度も言うように心が大事。その心をよく眺めていないと不健康な生活になる。自分は楽だからいいと思っている。でも違う。心が叫んでる。違うよ!これは違うんだよ!それを無視して生活をしている。それの何がダメなんだと。別に僕は諭している訳ではない。他人の人生には全く興味がない。全部自分のためにこの文章を書いている。書くことが楽しいから書いている。飽きてきたから、別のタイトルで書く。
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