手を動かすこと

こんにちは、鬱が完全に、いや休息期間に入ったというべきか。いつも調子に乗って「鬱が治った!もう楽ちん最強!」なんて思うけどそんなことはない。これからも僕が死ぬまで鬱はやって来る。でも暗くなる必要はない。大丈夫。まあ今は鬱だった時の症状を忘れてしまっているんだけど。とりあえず生きていくかない。最近は普通に暮らしている。普通に。起きてご飯を食べて遊んで寝る。でも眠る時に毎回「こんなんでいいんかな」と思う。それが僕にとっての普通の生活。低く安定とはこんな感じのことを言うんだろうか。僕は生まれてからずっと「何か面白いことはないかな」と思って生きている様子。とはいっても動くことなく完全に受け身だ。こんな自分が嫌いだ。いやいやよくない。自分は好きなんだけどどうしても粗探しをしてしまう。言葉の使い方を間違えてはいけない。なぜ受け身になるのか。体感としては「めんどくさい」に尽きる。ああだらしない、いやだいやだ。僕は人前では積極的に見えるのだろうか。家に帰ったら全て無気力になる、からっぽ。空っぽが嫌でなにかしようと思うけど先を考えるとめんどくさい。だから解決策を考えてみた。まず、例えばブログを書こうと思ったときにめんどくさいと感じるのはpcをつける→グーグルを起動する→noteを開く→文字を打つ。この「工程」を感じるだけでめんどくさくなる。4段階もある。ああめんどくさいとなる。それでは何も始まらない。この考える工程を何とかしなきゃならない。そこで「手を動かす」ことが大事だと思った。そりゃ当然なんだけど、細かく言うと「(頭ではなく)手を動かす」である。なにかしようと思い立った時、先に考えると自滅する。だからまずは書いてから。書きながら悩み考える。いや、その場合悩むことはない。手を動かしている間悩むことは一度たりともない。なぜなら悩んでいるのはその対象ではなく手を動かさずにいる自分に悩んでいるからだ。何かをして下手になったり逆方向に進んでしまうことはない。絶対に前に進む。経験である。

手を動かすという実験をこのブログで行っている。まず書いてみた。書いてる最中に書きたいことが見えた。文脈がぐちゃぐちゃなのは、僕が思い立ったことをそのまま文字にしているから。書きながら、勝手に脳が考える。僕はそれに従うだけ。

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