眠いから書く、将来の話を少し...。

作家になりたいと思った。少し焦りを含んだ決断だった。夜中、2時間散歩した。その間僕はいつも通りボイスレコーダーをオンにして独り言をした。特にしゃべることもないのだけど、しゃべり続けた。僕には意識といったものが感じられない。行動に原因とか理屈、理由がない。全てを無意識にゆだねているような感じ。今回も何も考えず口から発せられる単語を僕は聞くだけだった。夢の内容、無意識の話、読んだ本の内容、自分の話。僕は焦っている。これも理由がわからない。なぜ焦っているのだろう。これを追求してもいいが、僕の場合はもう、その行為はとっくにやめていた。焦るのは仕方ない。そのまま走らせる。「何がしたい?何ができる?」僕からの質問が届いた。歩いて30分ほど。難しい質問だ。第一、その質問をしたとこで何になる。僕は常にしたいことをしている。何ができるかなんて、探したって仕方がない。未来にはない、可能性もあるかもしれんが見つけられはしないよ。太宰だって作家以外に向いてる職があったかもしれないよ。でも何か引っかかる。僕はイヤイヤ考える。これはいったい何のための質問なのだろう。僕は良くも悪くも、話の方向をすぐ抽象に向けてしまう。そちら側にしか興味が向かないからだ。リアリストなんて程遠い。「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする。 これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。」僕は圧倒的前者になるだろう。あぁいやだいやだ。正直、いつでも死ねると思っている。現実を見てしまえば僕は死んでしまう。あれ、おかしいな。いつでも死ねると銘打っておきながら、死ぬのが嫌なのか。きっと生きることに対して、何か期待している。生きてればきっと面白いことがある、と。今寝て、次起きたときの僕の精神状態はどうなっているか、分からない。それは躁鬱の僕にとっての現実的な見解だ。だから生きていれば面白いことがあると期待するのは割と妥当な感想だと思う。その逆、生きていれば苦痛なことがあることも僕は知っているが、それを見ないふりにしておかなければ未成熟な僕はやってけない気持ちになる。だからこそ「いつでも死ねる」と、ある種の保険を利かす。話を戻そう。「何がしたい、何ができる」この質問の意図について。もっとも、質問者は誰でもない僕なんだけど。僕はしたいことは常に行動に移しているつもりだ。つもり、といったのは僕は無意識の領域は計り知れないことを知っているからだ。今書いている文章の単語一つでさえ無意識が絡んでいる。だが、割り切って考えなきゃ、ことが進まない。したいことはすでにしている。つまりは生活の中にある。そして僕は、当たり前だが出来ることしかできない。つまりこれも生活の中にある。前述の通り、ここでは可能性の有無は考慮しないことにした。きりがない。割り切って考える。僕は普段の生活で何をしているか、振り返ってみた。絵を描く、執筆をする、気になったことをとことん追求する、夜は友達とゲームをする、独り言をする、散歩をする、読書する、これくらいだ。この今の生活がそのまま僕の将来の生活になり、職になる。多分僕はそれを聞きたかったのだろう。だから焦る必要はないんだよと。僕は自分の普段やっている好きなことで生計をたてたい。よくある話だと思う。よくある話だって構わない。でもここで一つ、僕は自身に約束をする。「行動すること」だ。これも普段の生活から見つけた一つの鉄則だ。僕は口癖のように「手を動かすこと」と言う。普段でも手を動かしている。ここで動かないのは僕としては有り得ない話なので、わざわざ約束なんかしなくてもいいのだけど。でもわざわざ書くのには、なにか感じざるを得ない。きっと、少しだけ、怖いのかもね。今の生活の中で生計を立てるとして、一番それらしい行為は何だろうかと考える。それが「作家」だった。僕の師匠も本を売るところから始め、それから絵を売っていた。僕もそれがいいだろうと、考えた。自身を衝動的と形容しておきながら、そこまで探るか、なんて思った。僕は自身の無意識を知りたい、研究途中だから今日の題材も実験の一つだったのかもしれない。確かに僕は衝動的だ。無意識が根源だ。しかしそうして無意識から起きた行動を自分でひも解くのが僕の人生の大部分だ。これもまた一つの趣味、生活。今日はもう寝る。明日からは如何にして作家になるのか、やり方を研究しようと思う。多分、作家とはなんぞやといった話から始まるのだろうなぁ。しかし僕、少なくとも書いてはいるのだからもう作家だね。君はえらい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?