今日は映画の中にいるみたい

目が覚めたのは朝の4時半。なんだ、二時間しか経っていないじゃないか。灰色のワンルーム、雨の音。それがなんだか、居心地がよくて映画のようで、なんとなく気持ちいい。僕は起き上がった。不思議と眠くない。寝ている間、ベッドがものすごい勢いで揺れている記憶があることを思い出してスマホで”東京 地震”と検索をしたが今日は地震は起きていないそうで、でも場所も景色も体感も僕の寝ている状況そのものだったから、夢と分かっても少し気にかかる。ベッドからの景色がいつもより物語の中のように見えて、つい写真と動画を撮った。写真を撮るのが趣味の人はきっと、毎日が映画のように見えるのだろう。椅子に座り、ノートを開く。僕は今日一日が活動的になる予感がした。早起き、起き上がりノートを開く、睡眠時間が短い。この三つが揃うと大体その日は活動的になるのである。睡眠時間に至っては長くても構わないのだけど。ま、睡眠時間が短いのは躁状態が絡んでる可能性も出てくるね。そんな活動的な日は、内側、つまり脳みそも心も活動的だから朝から妄想イメージが止まらない。こぼれるのも勿体ないのでノートを開いて書きなぐって記録しているというわけである。同時にツイートもする。映画なので、すべてが愉快というわけではないんだな。暗い部分だってある。でもどんな映画も物語。つまり0から1に、または1から0に完結する。だから僕がどんな状況でも、ある種の開き直り、楽観的観測ができる。僕はこの映画のような一日を何度も経験してきた。今思えばたくさんあった。しかし今日初めて知覚できたのである。これは大いなる進歩だと思う。これからは「映画のような一日」についても研究していこうと思う。僕は「研究」という名目でお金を気にせず本を沢山買う。ネットサーフィンもする。知識も増える。でも、本当の目的はというと、「研究」している間は生きていられるんだな。僕は研究することによって生き延びている。それが終えてしまえば、僕は空っぽだからすぐ虚無に陥ってしまう。これは事実だ。想像ではない。研究がいつ終わってもいいように、同時並行で何個も研究している。今は「攻殻機動隊の研究」「無意識、それとセンスの研究」「作家になるための研究」そして今日のたった今、追加された「映画のような一日の研究」。この四つだ。今はね。研究といっても公的機関に属している訳ではないんだな。僕は一人じゃないとうまく動けない。逆に、一人で行動するのなら僕はなんだってできる。右に出るものはいない、とも思うくらいに。一人で生きるのが上手いんだ。一人で研究ってなにするのさって?確かに名目上、研究とは言っているけど結局は生き延びるためにやっているのだからそんなゴマゴマしたもんじゃないよ。ゴマゴマってなんだ?変なオノマトペが出てきた。たぶん、厳粛な感じではないよと言いたいんだろう。でも自分なりに、やるならフルスイングで何事も100%でやる。楽しくね。引用された本は必ず目を通すし、同じ時代に何が起きたかはネットで調べる。(今の人だけど、今の時代は本当に素晴らしい!)アウトプットとして、自然に脳みそに出てきたときは執筆中でも、ノートに落書き中でも必ず書くようにしている。僕ね、空っぽだから、ほんと、水みたいに、なんにでもなれちゃうの。すぐ影響されてしまうと言えば、まったくその通りなんだけど。読んだ本とかの文体に無意識に似通るし、アニメを見ればすぐその格好になって。面白いことに、自分の興味のあることにしかそれが適用されないからさ、本当に都合がいいなと思うよ。何の話だったっけ。あぁ、映画のような一日だね。それを研究しようと思い立ったって話だった。それはそれとして、今日は活動的な日なので朝からノートに落書きしたわけだけど、そこでは10年後の僕を想像してみたんだ。ノートの上でね。僕が10分足らずで書いた10年後の僕。

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「2034/5/13 誉(30)の一日」

(円グラフを描いて、一日を書き出そうとした跡)
スマネー。想像もイメージもできない。
本当に死んでいるかも。
また別の日にしよう。焦ることはない!!

(ここで別のページへ)
30歳か…。想像ができない。死んでんじゃないか…?
アラームも、定期通りに寝るも起きるも嫌いだから、そのへんはかんべん。

僕は作家になりたい
お金も、それで欲しい、というか執筆して生きていますと言いたい。

年収:600万

執筆、絵、ゲームもスキ

働くのはキライ.

(また別のページへ)
今日は映画っぽいながめだ。写真を撮る人の気持ちが良く分かる。
くもり、朝四時半、雨の音。スーッとした気持ち。2時間の睡眠。(そう?)

年収600万か。1500円で売るとして税10%、一冊で150円の収入として、年に40000部売ると600万。
一日、苦も無しに書くなら10枚分。(10枚なら余裕でかける)
毎日10枚、月に300枚。月に一冊本ができあがる。
年に12冊。そのうち半分、いや3分の1でも(4冊)、一冊1万売ればOKってこと。

それ以下はおそらくない。(へらすのは逆に〈逆にを誇張して〉むずかしいと思っている^^)
でもそれ以上は望んで、さらにやってみてもいいと思う。ベースの600万さえあればあとは30歳のほまくんに自由にやらせる。絵を売るもよしっだよ。
君は自分だけで生きるのなら右に出るものはいない。
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朝から10年後のことを考えていたんだ。イメージできないものは僕にはできない。だからイメージできるものだけを書いた。そうしたら、僕は10年後、作家になっていてそれで年収が600万ある、と出た。これは面白い。これくらいはイメージできてるんだな、僕は。こうして、朝早く起きて、机の上には灰皿、両端には雑に置いてある本たち、腕の下にはノート、そして執筆している時間が僕は本当に好きなんだ。これが毎日できたら僕は何も言うことはないよ。年収600万って単純計算したら月に50万の収入があるってことなんだ。すごいね、だけど僕はお金をあまり使わないもんだから多分将来は貯蓄をするんだろう。結婚もするかもわからない。一人でいるのが上手すぎるのに、他人といるのは勿体ないと感じるんだ。それに、他人といるのは下手だし。何事もうまくいく、というのは確かな基盤があってからの話だ。将来は何をしたいのか、どれだけのお金が欲しいか、そもそも働きたいのか、働きたくなければどのように生きるのか、何をしていれば幸せで楽しくて文句が出ないか。理想を現実的に、リアリストになって考えてみて、かつ、それがイメージに難くないのであればそれが君の基盤だ。僕は今、何物でもない。将来も何物でもない。生涯、肩書というのがない人になるだろう。でも分かる。なんとなく答えみたいなのがわかるんだ。自信はあるかと聞かれたら、返答に困る。そもそも自信は要らない。好きは自信を超越する。自信というのは過信でもあり肯定でもある。肯定というのは無い能力に対して「大丈夫だよ」と半ば不安に”対処”することだ。呼吸することに自信がいるか、肯定がいるか、そこに過信はあるか。無いね。自分にとって好きなことは(それは得意であり才能でもある)呼吸と同じように当然のようにできるんだ。だから自信とか努力が必要ならばそれはきっと、あなたのやることじゃないんだ。やってもいいんだけど。僕はそれをやってきたから、こんなことが言えるのかもしれない。僕は読者に諭すつもりはないよ、ただの備忘録さ。僕は作家になることに対して「うまくいく」と暗示することは無い。書けばいいのだから。今書いてるし。でもね、きっとその暗示が必要になるときがある。それはお金だ。本を書くことと、本を売ることは違う。売ったことが無いからそりゃ、ちょっとだけ心配だよ。うまくできるかなって。でもそれは当然の悩みだ。悩んだっていい。やったことないんだから。やりかたも知らないだけだ、これも研究すればいい。僕ね、実は本気になるのが少し億劫なんだ。本気になって失敗するのって、真っ向から否定されてる気持ちになる。だから本気にならないで、または本気だとしても「本気じゃないよ」と言って、自分を守っているの。これを書いてて僕はすごく自分にイライラしている。ふざけるな!そんなんなら死んでしまえ!!もっと本気でやれ!!俺は怒るぞ。殺してやる。そう思った。いや僕が思ったのではなくて、誰か、僕ではない何かが僕にそう言ったのが聞こえた。僕もしかめっ面。本気でやらなくて何になる。逃げるな。自分から逃げるな。それが好きで、あんたのやりたいことなら、もっと本気で向き合え。優しくなるな。そもそもな、失敗なんかないんだよ。馬鹿だなーお前。人の目気にしてるだけだよ。自分の目さえ気にしている。失敗ってのはやらなくなったときに初めて発生する。やり続けていれば後退することなんてないんだよばか。そう自分を変に追い込むな。やると決めたら死ぬ気でやれ。失敗なんかは死んでから考えろ。今考えるなら今死ね。本気でやらないでお前の希望が通ったとして何が残る?本気でやらないで希望も通らぬまま終えたとしてお前は何を感じる??ここに理屈なんかネェ、本気でやらないのは超ダサイから、本気でやれって言ってんの。素直になってよ。本気でやりたいんでしょ、ホントは。そうやって変な噓つくなよ。

ごめんなさい。本気でやるよ。僕。もう一生ダサイことはしない。人の目も自分の目も気にしないよ。必ず。誓うよ。

2024/5/13 
雨が止んだ

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