鬱が直ってきた?

こんにちは

事の始まりは恐らく、二か月前に薬を中断したときだと思う。すぐに躁状態が来て一週間ぐらい続いた。とても楽しかった。新しいことに挑戦した。作曲だ。それからずっと友達と通話しながら作業していた。やっぱり躁最高!みたいな気分になっててずっとこのままだったらいいのにと思っていた。それからあまり定かではないけど普通の状態になったと思う。普通に暮らした。そして一か月前、ちょうど通院した後に気分が下がって鬱になったと思う。自分の状態がわからない。今はどっちなのか、それともこれが本来の自分なのか。でも明らかに気分が落ち込んでいてずっと寝込んでいたので多分鬱だったんだろう。ここ最近やっと晴れてきた。割と短いほうだと思う。まだ薬が効いているからなのか。でももう薬はやめることにする。なんか不健康な感じがして嫌だった。僕の父は薬を飲み始めて少し後に自殺した。薬を飲んでいるという行為自体が病気を可視化させてしまう、気がする。僕は気がする。とか思う。とかを使いがちなんだけどそれは当然のことで、これは精神の問題ゆえに目に見えないからである。ましてや僕は専門家でも何でもないため自分の波を見るので精いっぱいだ。でも自分のことなんて生涯わからないと思うし分からなくても問題ない。ただ体質として気になるだけであって。ここで次に気分が落ち込んだ時のために備忘録としていろいろ書いておこう。

まず休むこと。波は不定期的にくるのか、定期的なのか、個人の感情とは関係がないのか、わからない。ただ僕の意見としては大いに関係があると思う。まず鬱になるということは「鬱」をはじめ「躁鬱」でも何かしら原因というのがあると思う。大抵は「頑張っている」と鬱になる。下記に示す単語は鬱になる予兆である。
・きちんと
・ちゃんと
・頑張らなきゃ
・しっかりしなきゃ
・我慢
・コツコツ
・予定
はい、とにかく頑張るのが嫌いなんです。そしてこんなにも日々自分を見つめていると思っても感情の揺れに気づかないのが躁鬱の特徴だと思います。自己中だけどどうしても周りの目を伺う体質だから、周りに合わせたりしている間自分はいないも同然。体の中から外まで全部他人に融合してしまう。そうやって「きちんと」やってると気づいたら鬱になっている。でも鬱が教えてくれる。「疲れてるよ」と気づかせてくれる。防御反応です。だから鬱がきたかもと思ったら素直に休む。ただ何も考えないで寝る。すぐ起きてしまうけどまた寝る。思考が巡ってしまうから何かしら動画を見るのもいい。ただ眺めるだけでいい。おすすめは何も考えずに手を動かすことなんだけどそれも億劫だと思うから、寝るの。気が重いだけで体は動くはずです。だからブログを書くのもいい。自分の楽しいこと、好きなことを思い出し始めたら少し動いてみる。死ななければ何でもいいです。と、今の僕は言いますが鬱の時は「なんだよそれ、なんで死ぬのはダメなんて言うの?こっちはこんなにも苦しいのに」と散々思います。不安に押しつぶされそうで、後悔と疑念が混ざってもう訳が分からないまま、なんとなく苦しくて死んでしまいたいと思うわけです。死にたい!ではなくて、もう死んでもいいかな。だって死んだほうが楽じゃないか。と死の恐怖より生きることへの恐怖のほうが勝っているわけです。躁状態の僕はとても楽しくて躁こそが正義だと思って、でも心の底では鬱を不安がっている。「次に鬱が来たら?まあ本でも読んでれば何か気づきを得て何とかなるでしょ、薬もあるしさ」と思う程度ですが。鬱の時には躁を、躁の時には鬱を忘れます。不思議ですが事実です。


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