眠い、書くこともない

また眠い。書くこともないないまま、また書く。書きたいという感情もない。でもなぜか書いてしまう。無意識に近い。僕はただ自分の手が動いてるのを眺めているだけ。だからこれは僕の文章ではなく、心の、そのままの文章ということになる。あとから自分の文章を見ると、こんなこと書いてたのかと。「なかなか面白いじゃん」と思う。眠い。いや、目が覚めてきた。僕は季節の変わり目に眠くなる。あとは人と会った後。人と会ったり、自分とは合わないことをするとその後一週間は体が重く、眠くなる。熊本に引っ越したいと思った。僕はすぐ行動に移す。計画をして、じゃあお金が必要かあと思って、バイトを探して面接に行ってきた。そのあと、すぐに始まった。僕は働けないと思いつつも、でもどうしても「いや働けるんじゃないかな、今だって、熊本に行きたくて、そのためだったらお金だってすぐ集めれるんじゃないか」と。でもだめみたい。どこか自分を信じきれなくて、早く確信したい。僕は働けないんだ、と。働けないなら働けないなりに、僕にはやることがあって、それを生涯にわたって心地よく生きていくんだと。それを早く確信したい思いで面接に向かったのかもしれない。採用をもらったが、やはり辞退した。働かないで、お金を集めよう。と思っているけどやり方はわからない。でもうまくいくんだろうなと思っている。なぜか楽観的。今日は眠いけど絵を描いた。僕はいつも抽象的な絵が出来上がる。模写を最初にしてみる。でも退屈。この執筆と同じで、僕は基本的に何もしたくなくて、全部心の動きに任せて、僕は眺めるだけがいい。それで出来上がるのが抽象的な絵で、この文章。絵を書いていると、あることに気づいた。僕は焦って描いている。原因、理由はわからない。何かに起因して焦っているのかさえ分からない。僕は好きなことしかしない。そう決めている。そうじゃないとすぐに死んでしまう。これは確信している。心が僕に銃口を向けて「好きじゃないことは絶対にするな。もしやろうもんなら俺はすぐに引き金を引く」。僕は絵を描くことが好きだ。文字を書くのも好きだ。なぜ焦っているのだろう。楽しいのに。だから僕は何をするにもすぐおわる。じっとして何かをすることができない。今僕が悩みとか不安と思っているものは全て、年を取って50歳くらいになると心地のいいものになっている気がする。それまで生きれるか、あまり自信はないけど。でもそれもまた美しい。儚いのは実は好き。絵を描こうとするとき、必ずと言っていいほど灰色から手に取る。そこに意味は見出さないけど。あまり自分を探ろうとするのはよくないとも思うからね。

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