ゲームの技術進化と面白さは別問題

「昔のゲームより、最近のゲームの方が進化してるんでしょ?だったら、最近のを買っておけば間違いないよね。」
なんとなくですが、こういう風に思っている方も結構いる気がします。
レトロゲームを販売している私が言うのもなんですが、あながち間違いとは言い切れません。
全部がそうではないにせよ、なんだかんだ動作は快適な方が良いし、グラフィックも綺麗な方が良い。音や演出も臨場感のある方が良いですよね。
「コンピューター技術の進化」は素晴らしいです。10年前、20年前に「想像はできても技術的に叶えられない」事のたくさんを、叶えられるようになっていると思います。

ですが記事のタイトル通り、「ゲーム自体が面白いか?熱中できるか?」は、別問題だと思っています。
誤解を招くようですが、「今のクリエイターの方々が、昔のクリエイターの方々に劣っている」などとは、決して思っていません。ヒト自体が突然進化することは無いように、突然退化するなんてことは無いでしょう。
「創る人のレベルがそう変わらないなら、多彩な表現が可能な今の方が有利なんじゃないの?」と思うかも知れませんが、そんなに単純では無いでしょう。良い例えでは無いかもですが、「綺麗な絵が描けるなら、小さなキャンバスより、大きなキャンバスに描いた方が良いよね」とはなりませんよね。
技術が進化して多彩な表現ができるようになっても、活用できなければ作品の質、面白さは上がらないでしょう。
上がらないどころか、下手をすると質を落としてしまう事もありうると、私は思います。「今も昔もクリエイターのレベルはそう変わらない」と言いました。つまり「表現したいものの容量もさほど変わらない・・でも、その全部を叶えさせるだけの容量は技術的に無い」となると、どうしたと思いますか?
変な例えですが、「旅行に行くのにカバンは一個しか持って行けない。でも持って行きたいものは1個ではとても収まらないくらいある」場合どうするかと言う感じですかね?
・・・まぁ、「カバン1個なんて無理だから2個3個持って行きます!」というやり方も無いとは言いませんが(プレイステーションの2枚組とか3枚組のゲームがそれかな?)、多くの方は「使うもの、本当に必要なものを厳選して収めて持って行く」のではないかなと思います。
そうです。「「レトロゲーム」の多くは、「クリエイターの表現したい事、伝えたい事を凝縮している」からの面白みがある」と思っています。
ごく最近(PS4やSwitch以降)の作品はあまりやって無いので一様には言えませんが、なまじいろんな表現が可能なため、「ついつい色んな要素を盛り込んで伝えたい中身がぼやけてしまう」印象を受けています。チャレンジ可能な分、プレイヤーの要求ハードルも上がっちゃって難しいと言うのもあると思いますが。

まあ結局、何が言いたいかと言うと、「レトロゲームにも面白いのは多いよ」ということです。
ベタベタな宣伝になって申し訳ありませんが、「レトゲ屋」もご愛顧よろしくお願いいたします。


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