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元旦のこと①

年末金沢から輪島に帰る時、毎年恒例の楽しみがある。
金沢駅の白山そばで、つゆと麺を10人数分買うのだ。
70代の父は、金沢市立工業高校定時制の卒業生だ。白山そばは、若い時から馴染みの味で懐かしいと言い、毎年家で皆で味わうのを楽しみにしている。
昨年末も、例のごとく、実家に私の家族と妹の家族、子どもら合わせて10人が集まった。
年越しそばを食べて、翌朝元日はのんびり起きて、「今日初売りやっとる店どこや?」だの「フルカワ(輪島の人なら多分皆知ってる馴染みのパン屋)は何日からや?」だの好きに喋っている。
子どもらはお年玉をまんまとGETし、にやけている。
ダラダラ過ごしてから昼頃には、妹が持ってきた自動餅つき機なる家電で餅を作って、きな粉や餡子、いそべなど、思い思いの味をつけて、柔らかい餅を味わう。
子どもら4人は普段とは違う特別な日を、各々に楽しんでいるようだった。
16時頃、少し空が暗くなり始めたので、そろそろ夕飯の準備をしようと、母と妹と私で台所をウロウロし始める。
私は母が作ったタラの真子を煮付けたのが大好きで、それを食べるのを楽しみにしていた。私がうたた寝している間にでも作ったのか、中鍋の中には、もうできたタラの真子が見えていた。
今日の夜はこれでご飯いっぱい食べよう。そう思いながら冷蔵庫を開けたり閉めたり、別の鍋を覗き込んだり。
まさに、欲丸出しの寝正月で、太るの決定やなぁと、自分に呆れていたその時、珠洲で地震が発生する。
地震の時はここに集まると決めていた、造り付けのダイニングテーブルの下に皆で潜り、
「嫌やねぇ正月から。珠洲の人らもなんも落ち着かんやろ。もう地震懲り懲りやよね。」
そんなことを話している。
落ちついたと思い、皆でテーブルの下からはい出ると、またテーブルの上に置いてある食べ物をだらしなくつまんで喋り始める。
その時だ。鳴り響く緊急地震速報。家は、以前経験した能登半島地震とは比較にならない程激しく揺れ、色々な家財道具が一瞬にしてガチャガチャと落ち、倒れ、見事に滅茶苦茶になっていく。命を守らなきゃ!子どもらをテーブルの下に。母の身体がテーブルの下に入るよう押し込む。そんな中、父は冷蔵庫や食器棚を押さえたりして、私たちの声がなかなか届かない。母と過ごす平穏な日常。大切な生家。守りたいものが多過ぎて、激しい揺れの中、色々な思いが駆け巡ったのだろう。「死んだらなんにもならんやろ!早く!早く頭守って!こっち来て!!」むせるような声を出して皆で父を呼び、テーブルの下に押し込んだ。
長い長い揺れが一旦止まったように感じられた時、皆に声をかけながら、仏壇や墓の心配をする父。何が起きたのか。どのくらいの規模なのか。ちゃんとした情報が入る前に、揺れの中停電し、テレビも付かなくなった。
「なんもかんも終わったじゃ。どうなるいや。ひでえ。」
「みんな生きとるがいね。とりあえず今できること優先順位つけてやらな。もう暗くなってきとる。懐中電灯どこや。トイレいいがにせんなん。」
外は徐々に暗くなり、家の中も薄暗い。こんな中、中学生の私の2人の子どもが、妹の子どもら2人に大丈夫やよ〜と声をかけながらテーブルの下で遊び始める。
大きな余震が何度もくるため、ちょっと様子を見に行くこと自体が命取りだが、トイレに行きたくなる子ども、外が気になる父。
少し揺れの間隔が落ちついた頃、グチャグチャの家の中を進み、勝手口まで辿りつき、気がかりだった家の裏の山の様子をうかがう。薄暗く、見えづらいが、旧のと鉄道輪島線の線路跡の溝のようになった部分に、裏の山の崩れた土砂がこんもりと被さっているのが見えた。細かい余震の度に、むき出しになった木の根っこ付近から、ゴロゴロと小さな岩や土が崩れ続けている。
家は一気に崩れ落ちることは無かったが、地響きと共に崩れ続ける裏山の土砂に押され、今にも押しつぶされそうだ。

②に続く

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