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入ったことない部屋

放課後残っていた6年生と雑談していて、ある子が言った。

「ずっと気になっていた扉がある。」と。

すぐに学校のマスターキーを借りて、その扉を開けに行くことにした。

マスターキーは良い。RPGで最後の鍵を見付けた時の様に、どの扉も開ける事ができる。3回使ったら壊れたりしない。それだけで僕はかなり興奮していたのだけれど、フォートナイトやYou Tube世代の子たちには伝わるのだろうか。やはりドラクエやFFは必修だと思う。

その扉は僕が本校に配属されて5年間、毎日見ていたのに一度も気に留めた事のない扉だった。

3階にあった扉(校舎は3階建て)を開けると、なんと上の階へと繋がる階段だった。

「幻の4階!?」「絶対校長先生の隠し部屋や!消されるって!!」

と子どもも僕もワクワクが止まらなかった。

その瞬間、子どもたちは新たな学びの「扉」を開いたのだろうな。と僕はある本を思い出した。

内田樹先生は著書「複雑化の教育論」で

『大学のキャンパスに必要なのは「ミステリアスさ」だ。』と書いています。

自分がそれまで名前も知らなかったような学問分野がある事を知って、自分がいかに限定的な知識しか持っていないか、学術の世界がいかに広大であるかを思い知るという事が、学びの始点においてまず経験すべき事です。

中略

いったいこの建物はどうなっているのか、それを知ろうとしたら、自分の足で歩いて、探検するしかない。不思議な階段があったら、自分で上がる。不思議なドアがあったら、自分でドアノブを回す。これは「学び」の比喩としては卓越したものだと思います。

中略

「扉」は「思いがけないところへ抜け出る扉」であり、「窓」は「普段見慣れた光景を、まったく別の角度から見下ろす窓」です。

「思いがけないところへ抜け出る」「ふだん見慣れた風景を別の視座から見る事」って、学問的な知性の使い方そのものじゃないですか。

内田樹「複雑化の教育論」

子どもたちは6年間で初めて「勉強」ではなく「学び」を知ったのかもしれません。

来週、子どもたちは卒業します。

最後の一週間、一緒に扉を開けた子ども達に、

先日の「探検」と「学び」のアナロジーについてお話しようと思います。

きっと何を言ってるのか理解できないだろうけど。笑

「先週のアレは『探検』ではなく『学びそのもの』だったのじゃよ。ホッホッホ」と。

それを伝えるのが「先」に「生」まれただけの僕の役割なんじゃないかな。と思ったのです。

エビデンスもないし、学習指導要領にも準拠していない。

僕の大事な実践です。

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