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「授業を研ぐ」を読んで

「憧れは理解から最も遠い感情だ」
というセリフが何かの漫画であり、心に残っている。

この本・動画を見て花咲くさんに憧れる人はたくさんいるだろうが、そこから一歩引いて読まないと著者に失礼だよなあ。と、SNSのTLを見ていてぼんやりと感じていた。

(個人的に、人から「憧れられること」が苦手なので、花咲くさんは「憧れられること」についてどう考えておられるのか聞いてみたいと思った。)

率直な感想は、

「すごいけど、とんでもない授業では、ない。」

だった。

この本・動画は、見た人の授業力や経験があればあるほど、どこが凄いか言語化できるのではないかと思う。(僕には言語化が難しかったのでアマゾンレビューを読んでみて、そう思った。)

指示や発問には非の打ち所がなく、全てが洗練されたものだと感じた。

全てが洗練されていて、実は当たり前のことが多かった。

新しい発見はなく、すべて(たしかに!)と頷く技術が45分を埋め尽くしていた。

「とんでもない授業では、ない。」という感想はここから来ているのだと思う。

「基礎を積み重ねること」=「授業を研ぐ」なのだと

そして自分に足りていないのは、「基礎を積み重ねること」だと再認識した。

12月にもなると、普段の指示や発問もいい加減になることが増えるので、もう一度基礎から始めたい。


本当に書きたいのはここから
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授業で扱われたテーマは『大人』と『子ども』について

紹介される様々な人に対して、「これは大人ですか?子どもですか?」と一貫して二者択一で問われていたのが印象に残った。

しかし、問いかけの度に回答が割れていた事からもわかるように「大人」か「子ども」か、という問いに明確な答えはない。

にも関わらず、私たちは二者択一で出される問いに「明確な答えがある」と勘違いしてしまっていることが多々ある。

「大人」と「子ども」の間には境界線はもとよりなく相対的なものでしかない。二者択一で選べるようなものではなく、間に無数のグラデーションが存在する。

人が便宜上『大人』『子ども』と名前をつけて言葉で区切ったに過ぎない。

このように、世の中には「原理の問題」で考えられているが、実は「程度の問題」であることが多い。

今回の授業は、この無数のグラデーションに気づく事ができる一歩だったように思う。そして、その気づきこそが、実は「大人になる」という事なのだ。

細谷功さんが開発された「ダブリング」というツールがある。

二つの言葉の関係をベン図のような図で表現するとどうなるか。と問うものである。


A(大人)

B(子ども)

で考えると、どのパターンになるか。

今回の授業においては、あえてパターン4に限定して問うことで、実はパターン5であると気づく子や、人によってはパターン6であると思う子もいる事を知る。

振り返りを見ていると、パターン4からの脱却。という「大人への一歩」を踏み出している児童が多くいて本当にすごいと思った。45分の授業ではなく1年間、花咲くさんの学級で学んでいる子たちは、きっとパターン4から脱却し、その脱却した先には無数のパターンがあることに気づき、その意見を認め、互いを尊重し合えているのだろうな。と妄想を膨らませる。

花咲くさんのクラスを見に行きたい!!

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