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脱サラ医学部再受験して20年経った医師のその後. 時々箱根別荘生活. 1)会社を辞めて新生活を始める

私が会社を辞めたのは、大学新卒からして入社丸2年が経過した3月末。

辞めるためには、少なくとも3か月前までに職場に伝えなくてはと思いました。
退職代行サービスなんて、もちろん存在しない時代でした。

辞める年の前年の12月中旬頃、直属の上司に

「この3月で退職を考えています」

と伝えました。

実は辞めることを決心した時、医学部受験が念頭に強くあったわけではありませんでした。

当然「辞めます」と言ったら、

上司は「この先どうするの?」って、必ず聞いてきます。

その時のために、

「留学するつもりです」

と用意していました。


ちょっと、高校時代に話がさかのぼります。

物心ついたころから、子供の頃から医者になりたいと思っていましたが、医者の生活がどんなかなんて、具体的に知りませんでした。

子供の頃から診てもらっていた小児科の先生が素敵だったから、
ずっと「素敵な大人の1人」として憧れていました。

でも今振り返ると、これは母の願いと言霊だったんだと思います。
母は、「将来、子供は医者にするの」って、なんの根拠もなく周囲によく言っていました。
子供って、やっぱり親に認めてもらいたかったんですね。

中学受験して、運よく第一志望の中高一貫の私立中学に入れた私は、何だか身の丈の合わない高いプライドだけを身に付け、
全く中学高校と勉強せず、
高校時代に大学受験が自分事になることは
ついぞありませんでした。

浪人すれば、医学部入れるんじゃないか
ぐらいに思っていましたが、
今思うと、あの時の私には、医学部どころか
たとえ浪人して大学受験しても、どこにも受からなかったと思います。

それぐらい、
思春期(尊大で、根拠のない自信で一杯)
雑念一杯
自分を律して生活をすることができない
そんな自分でした。

高校3年の秋に、父から初めて
「大学どうするんだ?」
と聞かれました。

ワタシ「…医学部に行きたいです」
「!!ふざけるな!!」
父「お前の生活態度をみていて、全く勉強なんかしてなくて、医学部なんて受かるわけないだろう!!」
父「医学部なんて、地元の一番の学校で、一番優秀な人がいくんだ!」
父「浪人なんて絶対させない。浪人したって受かるはずもない。」

…。…。

返す言葉もありませんでした。
結局、父から
「高い学費を払ってやるから、このまま付属の大学に行け。俺が担任に電話してやる。」
と言われ、付属の大学に行きました。
英語だけ多少勉強はしていたので、
付属の大学の英文科に推薦入学しました。
面接はありましたが、ほぼ無試験みたいなものでした。
因みに、同級生の中で附属の大学に進学したのは、受験をしないことにした2%でした。

勉強をしなかった自分は、医学部受験の権利すら与えられなかったのか、という思いがぬぐえなかったものの、
海外の医学部は、大学を卒業した人が行くらしい
という、当時不確かな情報をもとに、
「将来自分が本当に医者になりたかったら、稼いでからチャレンジするしかないか」
と自分なりに整理しました。

大学入学後は、サークルに入り、アルバイトをして、安い海外旅行して、恋愛していたら、
あっという間に大学3年の秋になりました。
大学生活を真面目に送ったかというと、
そんなに真面目ではなかったのが正直なところで
さしてやりたいこともわからないまま、
とりあえず働かなくちゃということで、就職活動に突入。

就職超氷河期で、3か月で50社ほどアプライして、
内定がもらえた1社に入社しました。

入社した会社の仕事環境と内容は大変充実していたものの、
みんなプライベートにいろいろな悩みを抱えながらも、
営利企業の一員として、次々とプロジェクトもので利益を追求していくビジネスというものが、
自分にとって
「どうしても心血を注いで打ち込みたい大事なものにならなかった」
というのが、辞めたくなった一番の理由でした。
今思い返すと、仕事って、必ずしもそうでなくてもよいと思うのだけど。
若かったんですね。

新しく異動してきた上司は、自分のキャリアで精いっぱい
とても、自分のキャリアを応援してくれる余裕はない
この上司の仕事をつつがなく支えるだけで、全く評価されないまま上司は次の場へ異動になる
若い自分の時間がとてももったいなく感じたのでした。

英文科卒でもネイティブスピーカー並みに英語ができるわけでもなく、退職理由が「留学するつもりです」になったわけですが、

当然前の上司の耳に入り、面談の結果、
「本当の理由があるだろう。2週間以内に考えてこい。」
と言われました。

正月三が日も自宅で仕事をしている自分に父も見かねて
父「安月給なのに正月三が日も休めない会社なんて辞めちまえ!」
とタイミングよく言われたので、
ワタシ「はい、辞めます」となりました。
ちょっと、びっくりした様子の父でしたが、

人生で初めて私に、
「何かやりたいことはないのか」
と聞き、
「医学部行きたいです」
と答えた私。
しばらく父は考え、
「1年だけなら時間をやる。1年でだめだったら働け。」
と。

その翌日、元上司にも
「実は、医学部に行きたかったんです」
と告白し、
「じゃあ、応援してやるから、全力で結果をだせ」
と、退職の話を進めることになりました。

人生で初めて手に入れた退職金、20万円ほど。
手元の貯金、120万円ほど。

合計140万円の手元資金。

予備校の授業料や定期代、参考書代や大学受験料、国民年金と健康保険料などを考えると
やはり、1年しか猶予はありませんでした

そして、2月に入り、駿台予備校の国公立医系コース(現在は年間授業料75万円ほど、その他諸費用入れると大体100万円程度/年)の入学試験を受けたのでした。















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