脱サラ医学部再受験して20年経った医師のその後. 時々箱根別荘生活. 2)浪人生活の過ごし方:自分と約束ごとをしよう
会社を辞める頃、街には桜が咲いていました。
会社から解放されてホッとした自分
予備校生になったものの無職な自分
桜の下にはそんな自分がいました。
「来年の春には、医学部に合格して晴れやかな気持ちで桜をみたい」
と、心に強く思いました。
4月からの浪人生活で猶予は「1年」とは言え、
センター試験(当時)は1月です。
実質10か月で決着をつけなくてはいけません。
手元資金は、駿台の授業料を支払って(当時は65万円程だった。入学金は早めに手続きしたからか、確か免除されました。支払った記憶がありません。)、
その他いろいろ払って手元に残ったのは60万円程でした。
大学の出願料や地方国公立へ受験しにいくことを考えたら、40万円くらいしか使えませんでした。
携帯電話を契約していたので、それを考えたら全く無駄にできるお金はありませんでした。
会社から「離職票」をもらったので、どんな形でもお金がいただけるのであればとハローワークに一度出向きました。
医学部を目指して予備校に入ったのに、「仕事を探すふり」をするのが馬鹿らしくなって、時間も勿体なくなり、2回目以降いくのをやめました。
1年後の春を想像しました。
医学部に受かったら、送り出してくれた会社の元上司や同僚、お客さんに祝福してもらえるかもしれない。
「会社は辞めちゃったけど、医学部に行った子がいてね」
と、記憶されるかもしれません。
もし落ちたら、
「医学部行くって言って辞めた子いたよね。あの子どうなったんだろうね。まあ、そう言って辞める人いるよね」
と、過去の人になっていくでしょう。
元上司も、仲間も、お客さんも、私は人としてとても好きでした。
何とか合格して報告し、この先の人生もお付き合いを続けたいと思いました。
私には年の離れた従兄がいて、その人も「医学部目指す」1人でした。
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