Rosenkavalier-バラの騎士-を読んで

アマデウスキー先生の Rosenkavalier-バラの騎士- 拝読しました。
相変わらず重くて(褒め言葉)読み応えのある作品を描いてくださり感謝々々です。
ロシア文学にもクラシックにも造詣が深くないので、読み取れていないことが多々あると思いますが、以下、現時点で感じたことをメモします(メモとは言ってない)。

■ベゲモートの本当の目的は何だったのか?
夢のフリをしてまでライスにわざわざ選択を提示したのは何故でしょうか。自分とは異なる選択肢を提示するであろうことがわかっていてトレーナーを同席させたのでしょうか。
メタ視点で見ればライスを再び立ち上がらせるために存在するトレーナー(夢の中のほう)の対立項とも読めますが、ベゲモート視点では何が正解だったのか、個人的にはこの作品の最大の謎です。
レースやトレーニングという苦しみや重圧から逃れて「大好きな優しいお兄様とずっと一緒にいること」を「最善」としたということでしょうか。
眠りは死と兄弟だという発言からも、ライスに(レースを、走ることを、ウマ娘としての可能性を)諦めさせる存在として現れたことが窺えますが…深読みしすぎかもしれませんが、謎めいた存在感がとても印象的です。

■夢の中のトレーナーが提示したもの
ベゲモートとは逆に、ライスが本当に望んでいることは何なのかを提示しました。
そもそもライスの願いは本質的に「みんなを幸せにしたい」ではなく「みんなを幸せにする青い薔薇になりたい」という自己肯定を伴うもの(悪い意味ではなく、それこそがライスの存在証明)なので、そういう意味でも「みんなのために立ち上がる(あるいは立ち上がらない)という選択ではなく、自分のための選択をしてほしい」という思いが、青い薔薇という形を取ったのだと考えられます。
ベゲモートはそんなトレーナーの提示を「酷」なことと表現しており、露悪的とも言えるライスへの態度とは違う配慮が感じられて、余計に謎です。

■ブルボン最高
やはりライスのカップリングはロブロイでもウララでもなくブルボンこそ至高であると言えます(唐突なオタク語り)。
ブルライはお互いがお互いを奮い立たせるための存在といういかにもウマ娘らしい関係性で大好きなのですが、ライスとの菊花賞後、史実ではレースに出ることも叶わず引退したブルボンにとって、復帰を目指してトレーニングを続けるウマ娘時空でのライスはまさに「希望」以外の何者でもなく、ライスを復帰に導くために必要な最大のピースであったことは疑う余地がないです。ない(断言)。

■現実世界のトレーナー
ウマ娘におけるトレーナーは、当然ながらウマ娘を導く存在であるため、タイプは違えどかなり有能(折れない、諦めないという意味で)な設定となっているのに対し、この作品におけるトレーナーはどこか頼りない印象です。
作品内のライスが史実どおりの勝ち星だと仮定しても優秀であることは疑いないのですが、宝塚記念をきっかけにまるでどちらがライスかわからないくらい自分を責め、盲目的に尽くすことでしかライスに報いることができないと考えています。その姿は「ライスより先にこの世界が最善であることを受け入れてしまった」者として描かれており、「これから最善か否かを選択する」ライスとの対立項にもなっているように読めます。

■二人のラスト
走り切ることができなかった宝塚記念と同じ条件のコースをボロボロになりながらも走り切りお互いの思いを吐露する姿は、苦しくても、レース復帰の可能性が低くても、この世界を最善として支え合って進んでいくという決断をした、育成ストーリーで宝塚を無事走り切ったifの物語とは違えど、まさに希望の物語だと思います。

■タイシンタイシンタイシーーン!!
さらにさらに、アマデウスキー先生の真骨頂、史実ではライス同様に同レースが現役最後となったナリタタイシンが二人の姿を見て微笑んでいる一コマは、おそらく宝塚以降苦しんでいたであろうことが想像に難くない彼女もまた希望を見出したと思わせる、全タイシンの民必見のシーンであります(断言)。

というわけで例によってゴチャゴチャ書いておりますが、解釈違い見当違い読みが浅い点などはご容赦いただきたく……紙の本じゃないと頭に入ってこないんだよな〜と言い訳しつつ、通販予約させていただきました!
また思いついたことがあったら書きたいと思います(書くとは言ってない)。

楽しいなぁ

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