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やっちゃば一代記 思い出(21)

大木健二の洋菜ものがたり
 トレビッツの犠牲に!
湘南レッド
 東京オリンピックのちょっと前の昭和37、8年でした。築地市場の卸売会社や小売商組合の関係者と、神奈川県農政部、生産者ら50人前後が丸の内のとあるレストランに集まりました。「赤タマネギ」の試食を兼ねた販売促進会議が開かれたのです。赤いタマネギは当時は非常に珍しく、わたしたちも強い関心を持っていました。大玉から小玉まで、茹でたり、煮たりした料理が出され、結局、大玉を生食用として生産、販売していこう、という事でした。オリンピックを契機とした第3次洋菜ブームの波にも乗り、その後10年近くはよく売れました。岐阜では岐阜アーリー、淡路では淡路島レッドといった名前で栽培、出荷され、この赤タマネギは一世を風靡したのです
しかし、今は見る影もありません。1994年、神奈川県の農業試験場関係の総会に招請された際、導入当初の経緯や販売促進会議のときの詳細を知りたくて尋ねてみました。もう知っている人も、データも残っていないというのです。所在不明のまま実物が消えかかっているというのは寂しい限りですね。湘南レッドが”幻の野菜”となってしまったのには訳があります。同じ赤みをもつトレビッツに市場を奪われたからです。昭和56年、ベルギー経由でイタリア産トレビッツが輸入されると、これがみるみる普及し、赤系統の野菜はシェアを奪われ、湘南レッドはトレビッツの輸入後3年で店頭から姿を消したのです。トレビッツは生はもちろん煮物、焼き物にも利用できる幅広い用途がありますから、サラダ中心の赤タマネギは太刀打ちできなかったのです。同様に赤キャベツもパタッと売れなくなりました。この野菜は一時期一箱5千円も6千円もしたのですが、すっかりトレビッツの犠牲になってしまいました。 
 わたしの手掛けたトレビッツによって、湘南レッドが消えかかっているとは皮肉なことです。新野菜を取り入れる際、古い野菜が廃れる可能性はつきまといます。これは自然淘汰、仏教でいえば輪廻というものでしょうが、私個人としては、湘南レッドが消えてしまうのは忍び難いのです・・・。
※湘南レッド
神奈川県の農業視察団がカナダを訪問した時に注目しました。カナダの原種を導入し、神奈川県大磯の農業試験場はが、タマネギ特有の辛みの成分である硫化アリルという物質を少なくした栽培種の開発に成功したんです。
これが湘南レッドの由来ですが、各地で栽培されるようになって、その名称は廃れてしまいました。現在はスポット的に市場に入荷はしていますが、品質面では岐阜県産の評価が高いようです。

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