収斂2

月の出ている夜は、隊舎の窓から遠くの山が見える。

陸路なら、今見えているような山を越えて、おおよそ二か月はかかる旅路も、金を払って早舟に乗れば、ものの一週間で到着してしまう。

そんな辺鄙な場所……かつては国に忘れられていた小さな漁村は、今や一軒の小屋と、潮風が吹きぬける広い墓地に変わった。


ヴァサラ軍へ入ってから貰えるようになったお金は、軍営から村へ戻ってくる旅費に消える。

廃墟の取り壊しや埋葬を手伝いに来る小隊員、特に主任は「移動くらいタダでやるのに」と誘ってくれるが、他に金の使い道もないからと断っている。

まぁ、今は小屋をもう少し豪華にとか、船が飽きたから奮発して馬を……とか思ったりもしたが、今更面倒なのですぐに考えるのを辞めた。


そうして明日も、軍営を出て村へ戻ることになっている。

9番隊調達小隊の仕事は止むことはないが、おれは「村のことを優先する」のを条件にしたし、ハナからすべての仕事に付き合うつもりはない。

最近、ちょうど療養中だった隊員が戻ってきたこともあるし、人手の問題もマシになるはずだ。


「散歩でいいか……」

明日の朝は早いが、早起きは苦手だ。

だから、こういう時はいつも寝ないで徹夜して出発する。そして眠気を飛ばすために、たまにこうして、軍営の中を歩き回るのだ。

しかし、隊舎の玄関を出ようとしたところで、さっきまで思い浮かべていた人物と遭遇した。

その人は何時もはかなり早く寝るのに、珍しく深夜まで起きていた。

何か用でもあったのか。

「発つのは明日だっけ、気を付けてね。最近は海が時化るって、漁師さんたちから聞いてるからさ」
「……主任がこっちの私用まで気にすることはないでしょう」

動揺したわけではない。

しかし、口から出たのは、彼を友人として見る時の呼称ではなく、仕事で使う時のそれだった。

「最近は夜も暑いから、水はしっかり飲むんだよ。ただでさえ夜更かしは体に悪いし……というか、別に寝ていたらいいのに。そしたら僕が――」
「いいんだよ。船で寝るから」

主任……ツバメはこちらの言い間違いを気にせず、いつものように冗談含みで世話焼きなことを言う。

「ま、レジィの好きにするのが一番だけどさ。」
「うん」

そして、すれ違うように隊舎の中へ入ると、緑青の鉢巻を外して「じゃあおやすみ」と言って部屋の方へ向かった。


ヴァサラ軍は、最近カムイ軍との戦いで忙しいらしい。

所属する小隊も、元は戦況の悪化と勢力圏の不安定化から結成された部隊だ。


「おやすみなさい、ビャクエン隊長」


軍営内にある林の影から、女性の声が聞こえた。

特に気に留めずに歩を進めていくと、彼女の金色の髪が、月明かりを反射して一瞬光った。

四番隊の副隊長だったか。名前は知らない。確か四番隊の隊長も、カムイ軍との戦って討ち死にしたと聞いている。

こんな隊舎前の、林の真ん中に墓標があるのか……さぞ慕われていたんだろうと思う。

副隊長が四番隊の隊舎に戻っていく。どうしておれは、木の後ろに隠れているのだろうか。

どうせ暇だから、彼女が居なくなってから、その墓の方へ行ってみた。

花、団子、酒……あとは彼の衣服だろうか……他にも手紙や小物の供え物がたくさん置かれている。どれも最近のものだ。

ふと、緑青の布の切れ端を見つける。

ツバメの用って言うのは、墓参りだったか。

「……喉乾いたな」

死んでしまった人に、こんなことをして何になる……以前の自分ならそう感じていただろうなと思うと、ちょっと嫌気がさして、すぐに離れた。


水を飲もうと、井戸のところまでやってきた。

近頃の暑さもあって、複数箇所ある井戸や給水所はいつも混み合うのだが、今の時間なら独り占めだ。

そう言えばこの水、もともと近くの湖か何かから引いているのだったか。

昔、村で暮らしていた頃は、水源があっても飲み水の確保には苦労したものだった。

ところが、どうもヴァサラ軍には天才科学者がいるらしく、高性能な「浄水器」という機械を作って水を容易に確保できる。

この六番隊隊舎に近い井戸は、実験も兼ねてか常に新しい機械が付けられているらしく、より水が冷たく、透き通っているのが分かる。

そんなこともあり、未だに軍の雰囲気があまり好きになれないものの、水と食事が美味しいというところは、かなり気に入っている。


六番隊か……最も隊員が多い部隊らしいのだが、それにしては忙しそうな印象だ。

そんな風に思いながら、ふらっと隊舎までやってきてみた。そういえばここは、隊舎の他に、例の天才隊長が使う特別な建物がいくつか建てられている。

その中の一つになんとなく目を遣ると、窓掛けがずれて中が見えそうになっていた。

興味本位で近づくと、そこには人ひとりが寝られるくらいのベッドが一つ。誰か眠っているのか……ふわりと真ん中が盛り上がっている。

しかし、もっと近づこうとしたところで、網目状の柵のようなものに足が引っ掛かる。


「そこには近づかないでちょうだい」


突然の呼びかけに、若干肩が震えた。

振り返ると、噂をすれば……桃色の髪と白衣が印象的な、六番隊の隊長が立っていた。

「あら、貴方ってたしか9番隊の……」
「ごめんなさい。隊舎に戻りますね」

こういうタイプとは、あまり話せる自信がないので、早々に立ち去りたかった。彼女も、此方に警告する以外の意図はないだろう。

「ちょっと待って。ほんとに、男ってのはせっかちなんだから」

ところが、彼女は意外にもこちらを呼び止めると、煙草をふかしながら近づいてきた。

その臭いは、正直好きではなかった。

「アンタと同じ小隊の子、ウチで面倒見たでしょ? そろそろ任務にも復帰すると思うんだけど――」
「ミコトの事ですか」
「そうよ。話が早いわね。」

彼女の脚は重症だったと聞いたが、どうやら隊長直々に治療に関わったようで、その後の様子が気になっているのか。

「問題ない、と聞いています。」
「……さっきから受け答えが淡泊ね。面倒くさがりとは聞いていたけど、まぁいいわ。」
「はぁ、すみません」

六番隊の隊長は「別に怒ってないわよ」と言いながら、二本目の煙草に火をつけた。

医療に携わる人間が、こんなものを嗜んでいて良いものなのか。

「私はね、あなたの身体にも興味があるのよ。それで、ミコトちゃんに聞いてみたのよ、あんたの事。」

おれはだまったまま聞いていた。

こんな半死半生のイカれた身体に興味があるのか……天才と変態は紙一重とはよく言ったものだ。

そして同時に、ミコトが自分のことをどう話したのかが少し気になった。

「でもあんた、自分の事ほとんど話さないって言うじゃない。それで深夜に施設の見回りをしてたら、ちょうど本人が現れた……」
「……」

正直、過去のことはあまり話したくない……というか、覚えていないこともある。

嘘だ。覚えていないのではなく「思い出したくない」のだ。

ヴァサラ軍へ来てすぐの頃、おれは歓迎ムードの中で数人に囲まれて、あれこれ聞かれた。

その時、ツバメが割って入ってきて、嫌なら何も言わなくていいと彼らを追い払ったのだ。

それ以来、小隊の仲間やツバメ本人にすら、詳しく自分のことを話したりはしていない。

しかし、目の前にいる隊長は、こちらが着ている鎧を丸ごと脱がすような勢いで、その知識欲を溢れさせていた。


「面白いものでもありませんよ。カムイ軍の動きに巻き込まれて、故郷がなくなったんです。だけどそんな人、ヴァサラ軍じゃ珍しくもないでしょう」
「そうね、別に珍しくないわ。あそこで寝ている子だってそうだし。」

六番隊の隊長は、そう言いながら、さっき覗こうとした建物を指した。

「こんな時代はね、普通でいる方が難しいの。君もあの子も、故郷があって家族が居て、ずっとそんな生活が続いていくはずだったのに」

二本目の煙草は、すでに半分以上無くなっている。

ところが、彼女はそれに気が付いていないのか、無視しているのか……遠い目をして件の建物を見つめている。

「私も天才なんて言われているけど、本当に守りたいものは結局失ってしまったわ。」
「……」

返す言葉が分からない。

隊長になるような人間でも、こんなことを言うのか……そんな感想だ。

「思い出したくないんです。大事な人も、楽しいことも、あったとは思うんですけど」

そしていつの間にか、意味不明な言葉を口にしていた。

しかし、それよりも驚いたのは、この言葉を聞いた隊長さんの表情から、溢れ出ていた欲が消えていたことだった。

「……お互い大変ね。あ~あ、ほんとは解剖でもさせてくれって頼もうかと思ってたのに」
「それ、生きた状態でいられるんですか」
「……多分大丈夫よ。それじゃ、付き合わせてごめんなさい。」

張りつめた線の切れたような口調でそういった隊長は、吸殻を手持ちの灰入れにしまってから、右手を振って隊舎へ戻っていった。

そういえば、六番隊の隊長には「遊び心」が備わっているという話を聞いた。山麓大拠点の時だったか。

身近に彼女に触れて、その意味が少しわかったかもしれない。


——

明け方、船着き場へ向かうと、先にツバメが来ていた。

「何してるの……」
「あ、おはようレジィ。ちょっと伝えることがあってさ」

どうやら、おれに伝言を伝えるために、わざわざ睡眠時間を削って待っていたらしい。

「ハズキ隊長からね。時間があったら、レジィのことを聞きたいって」
「……ハズキ隊長……六番隊の隊長さん……だっけ」
「そう。あれ、昨日の夜に隊舎の前で話したって聞いてたけど」

ツバメは不思議そうな顔をする。まぁ、新入りとは言え、いまだに十二神将の名前すら曖昧なのはまずいか。

それにしても、彼女はまだあきらめていなかったのか。

「それと、コレ。隊長が君に渡しておいてってさ」
「なにこれ」

差し出されたのは、一枚の布切れだった。よく見ると『あなたも?』という文字が書かれている。


「僕も分からないよ。レジィの物じゃないの?」
「……まぁ、おれの物っていうか……一応貰っておくよ。ありがとう」

「別に気にしないで。次戻るのは来月?」
「そんなところかな……」


なぜ、ハズキ隊長がこれを……。


「それじゃあ、気を付けて、レジィ」
「はい、主任」
「もう!」


つまらない会話をしているうちに、時間が来た早舟は、ゆっくりと岸から遠ざかっていく。

受け取った布切れを指に巻きつけて、空へかざす。

次第に船の揺れは激しくなって、眠気が襲ってきた。


「まぁ、いいか……」


時化るという予報に反して、潮風と陽気にさらされた体は、簡単に睡魔に屈した。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?