見出し画像

ぶれぶれ草「デート」

デートをデートと呼ぶか否かで今日はなんとなく頭を使っている。

デートの正体とは2人での外出なのだが、2人が楽しければデートなんて形のある名前は無くてもいいのではないかと思ったりする。

まずデートとはなにをするんだろう。ご飯を食べに行く、水族館に行く、映画館で隣に座る、ドライブに行く。散歩をするだって僕からしたらデートだし、会話ができれば学校の帰り道だってデートですって引っかかりなく言える。

でもそれは、友達とだってすることだ。僕は恥ずかしげもなく、男友達と2人で水族館にだって行ける。チームラボだって行ける。だったら何がデートをデートたらしめているんだろう。それは相手のことを好きだって思う気持ちなんじゃないかって思う。くさいかな。つまり好きであれば何をしててもデートだ。好きなその気持ちこそが、ただのお出かけをデートに思わせる魔法なんだ。くさいな。

でもデートというくくりに入れられると、デートらしいことをしないとっていう焦燥感も確かにある。以前に付き合っていた人と会う時にもそれは感じていた。(別れる前はファミレスで会って散歩してばかりで、申し訳ないななんて思ったりしていた)その焦燥感で、2人が作り上げる「デートと呼ばれる何か」が妨げられるなら、デートなんて属性づけは無くても良いと思う。でも、その呼び名のない外出をあえてデートと面白がって呼んでみるのも、それはそれでいいと思う。面白ければそっちの方がいいに決まってる。デートだと思うことでより楽しくなるなら、勝手にこっちでどんどん思っておこう。誰も迷惑こうむりはしないはずだ。

ものを考えるときにまとまることは滅多にない。結局、デートという言葉なんかなくても、デートとあえて呼んでも、と矛盾した考えで話を結ぼうとしている。でも片想い中はやっぱり後者のほうがよっぽど嬉しい。恋は盲目と言うが、その人を純度100%で感じられるなら、僕は喜んで目を塞ぐ。それでいいじゃんか。

ということで来週の「デート」を楽しみにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?