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端っこ大好き

「ケーキの真ん中なんて普段食べないでしょう?」その人はオヤツのロールケーキを切り分けながら、端っこではなくて真ん中を、しかも1番最初に私の前へ置いてくれました。

育児真っ只中の30年前です。

意識なんてしなくても世の中の「お母さん」は、家の中で1番最後に残ったものを自らとる癖がありませんか?

小さな命を守る為に、家を守る為に、それは本能の部分なのかも知れません。

「あまったら食べる」ということを選ぶのに何の戸惑いも持たない日々・・・いつしか「端っこ大好きだよね」そんなふうに理解されても何も抵抗感がありません。

そんな中「暮らし」を立てていく過程で「命」を軸にした時、1番高い位置に来るのは子供です。

小さな命は簡単なことで無いものになってしまう・・・そんな命を守ると決めた時から、女性は自分の深いところに覚悟を落として母になります。

やがて夫婦ふたりの暮らしになっても、私の場合は自分の育った環境も相まって、自分を最後に持ってくること「相手をたてる」ことで、関係性を円滑にしようとしました。

確かに日本の女性は、ずっとこの立ち位置を求められてきたかも知れません。

古くからの習慣だけが残り、女性が働くようになっても家事も育児も介護も、女性の分担リストから外されないケースも残っています。

私の場合「人の思うことを察して動く」という自分を守る為の生き方の癖が、どんどん「自分本来を生きる」ということから遠ざけてしまう結果になっていった気がします。

「自分の意思」は、伝えなければ理解されないのは当たり前です。

自分が察するのは「自分の勝手」で、相手に求めるのは傲慢なこと、相手が同じようにしてくれると思うのは欲張りなこと・・・このルールが頭に構築されたのは、恥ずかしいけれど還暦を過ぎてからです。

いろいろな山を夫婦で乗り越えて「自分本来を生きたい、生きるようにしよう」と思う私の気持ちは、明らかに表に出始めました。

それでも主人の意見に正面から「NO」というのは難しいことで、たぶん主人側もイライラが溜まる瞬間でありまして、2人の目の前に出たケーキを独り占めするくらい勇気が必要かも知れません。

でも自分の意思を美しい言葉で伝えることは、大人として全うしたいことですし、いくつになっても人生を潔く立て直すことは可能だと信じたいです。

たぶんそれが、私の1番ほしいご「ケーキの真ん中」なのでしょう。

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