写真が教えてくれる歴史

7/15(月祝)
写真は、その瞬間を切り取って残してくれる。写真があるおかげで僕たちは過去を学べるし、思い出を残すこともできる。

トランプ前大統領の銃撃事件

14日にアメリカ・ペンシルベニア州にてトランプ前大統領が銃撃された事件があった。幸い、トランプ氏の命に別条はなかったが、その中で、歴史的な瞬間が写真に切り取られたのをご存じだろうか。

朝日新聞の記事 ↓

運が悪ければ命はなかった。それほど衝撃的だったこの事件は、瞬く間に世界中で話題になった。

どういう歴史があり、人々は何を学んだか。当時の社会情勢はどのようなものだったのか。どうしてこのような事件が起きてしまったのか。写真はすべてを教えてくれる。あるいは、僕たちに考える時間を与えてくれる。

「奇跡の1枚」を収めた人物

ところで、この「奇跡の一枚」とも称される写真を撮影したのは、アメリカ・AP通信に所属するエヴァン・ヴッチ氏だ。世界最大級の通信社に属する彼の手腕が存分に発揮された1枚であろう。調べたところによると、エヴァン・ブッチ氏は、過去にピュリッツァー賞を受賞するほどの凄腕カメラマンらしく、今回の事件でも、写真における構図や撮り方、瞬時にシャッターを切れるメンタリティなど、様々な場面で評価がなされている。

(ピュリッツァー賞:アメリカ合衆国における新聞、雑誌、オンライン上の報道、文学、作曲の功績に対して授与される賞である。(wiki))

エヴァン・ブッチ氏が受賞したのは、2020年にアメリカで起こった「ジョージ・フロイドの死」によって起こったデモ・暴動をとらえた写真である。この暴動は、黒人であったジョージ・フロイドが白人警察官による不適切な拘束によって死亡したことから始まった。アメリカの根深い人種差別問題がまさに表面化した事件であった。

ジョージ・フロイドの死による抗議活動をとらえた写真(撮影:エヴァン・ブッチ 2020年)

日本人におけるピューリッツァー賞の受賞

ピューリッツァー賞は、前述の通りアメリカ合衆国内のみの賞だと思われがちだが、実は日本人にも3人の受賞者が存在するのをご存じだろうか。

①長尾靖(1960年 浅沼稲次郎暗殺事件)
1960年、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が、当時17歳の右翼少年に暗殺される瞬間をとらえた写真。1960年10月12日、東京都・日比谷公会堂にて、自由民主党・日本社会党・民主社会党の3党の公開演説が行われた。日本社会党委員長の浅沼稲次郎が壇上に上がり、演説を開始してから数分後、駆け上がってきた右翼少年に刺されて死亡した。

「浅沼稲次郎暗殺の瞬間」(撮影:長尾靖 1960年)

当時長尾氏は毎日新聞社に所属しており、この演説を一番前の新聞社用傍聴席にて傾聴していた。事件が発生した瞬間「撮らなければ」という衝動に駆られ、夢中でシャッターを切った。フィルムにして最後の1枚だったそうだ。受賞後、長尾氏は「人の不幸で賞を取るのは、なんだか複雑な気分だ」と述べている。彼は毎日新聞社を1962年に退社し、その後フリーカメラマンとして活動した。

②沢田教一(1966年)
1966年、激化するベトナム戦争の最中、当時のサイゴン(現・ホーチミン市)の農村にて撮られた写真だ。

「安全への逃避」(撮影:沢田教一 1966年)

止まらない爆撃から何とか逃れようと、川の中を逃げ惑う母子をとらえた写真。ベトナム戦争がいかに凄惨なものであったかがこの写真からよく見て取れる。この写真はいわば「戦争写真」であり、ベトナム戦争の核心をとらえた写真として、沢田氏は受賞に至った。当時彼はUPI通信社に所属しており、サイゴン支局のカメラマンを担当していた。その後も彼は戦争写真を撮り続けたが、1970年にカンボジアで被弾し、若くしてこの世を去った。

③酒井淑夫(1968年)
こちらもベトナム戦争真っただ中の時の写真。酒井氏も沢田氏と同じくUPI通信社でカメラマンを担当していた。

「静かな雨、静かな時」(撮影:酒井淑夫 1968年)

ベトナム戦争はひどく長期化した凄惨な戦争だったためか、戦場での写真が多く残されているが、酒井氏は逆に「静かな瞬間」をとらえた。それがこの写真だ。ベトナムは気候により突然の豪雨(スコール)に見舞われることが多々ある。その時だけはどちらの兵士も行軍を停止し、雨が止むのをじっと待つ。銃声などの轟音が響き渡る戦争の最中、唯一静かな瞬間がこの「雨」の時なのだ。酒井氏はその瞬間すらも逃さなかった。

写真が教えてくれるもの

写真が僕たちの生活に溶け込んでから長い年月が過ぎた。何気ないものもあれば、こうした歴史をとらえたものであったり、社会情勢を反映したかのような写真が残されたりすることもある。今回のトランプ前大統領の銃撃事件で撮られた写真も、教科書、資料集に載るなどして後世にずっと残されていくものなのだろう。

写真は僕たちに何かを教えてくれる。それは偉大な写真からスナップショットまで、種類は問わない。直接教えてはくれないようなものでも、僕たちに考える時間を与えてくれる。


―写真が教えてくれる歴史

(了)

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