「幹事」の大変さと、その恩恵について。

7/17(水)
9時ぐらいに起床。少し目が痛い。最近は寝る前にちゃんとコンタクトレンズを外すことに成功しているのだが、なぜか目が痛かった。寝すぎたのか、それとも悪い夢を見たのか。

スマホを見る。なにか嫌な予感がした。LINEを開くと飲み会の欠席連絡が来ていた。この日はゼミの何人かで飲みに行こうみたいな計画を立てていた。企画は僕。元々の参加人数が少ない状況での欠席は正直胸が痛くなった。まあ最近コロナが再流行しているらしいし仕方ないと思うことにした。結局飲み会は無くなった。

飲み会の企画立案に実行。その規模が大きくなればなるほど、幹事の責任は重くなる。総じて、幹事というものは本当に大変である。一見、人数を確認して店を予約するだけかのように思えるが、それだけではない。急な欠席による対応、お店選び(一番重要)、終電の時間、コースなどの選択、乾杯の音頭、酔いすぎないようにする自制心、お会計、解散後の2次会、、、、、、幹事は、「家に帰るまでが遠足」並みに「家に帰るまでが飲み会」なのである。

大学2年生の時に一度クラスで同窓会を開いた。幹事は僕ともう一人の友達。会計時になぜかお金が足りなくて僕は2人分ぐらいの値段を払った覚えがある。今となってはいい思い出。

しかしここまで「幹事は大変だ」などと講釈を垂れ流してきたが、実際飲み会が始まると通常運転。普通に楽しいのである。別に幹事だからといって特別会話を回す必要もないし、好きに振舞えばよい。そして何より、開催に至ったことに対して感謝されることがある。参加者からの「感謝」によって幹事の心が満たされ、それまでの大変だったプロセスの存在が薄れていく。そして、また次回の開催に繋がっていく。これが、幹事-参加者の関係性なのではないかと僕は思う。

結局この日の飲み会には代わりに友達2人が来てくれた。ありがとう。


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