いつか「終わる」ことへの意識

6/27(木)
現代短歌から多くのことを学んだ。これもすべて、暇だからである。

「なんかもう、いつか終わると知ってからいろんなものがやけに眩しい」

この日Xにて見た、誰が作ったのかもわからない短歌である。輝かしい時間でも、悪夢のような時間でも、いつか終わりが来る。それを知ってからというもの、楽しいことはもちろん苦しいことも、なぜか眩しく見えてくる。それは「解放感」とはまた違った、こころのどこかからこみ上げてくる「寂しさ」なのだろう。

直近の僕にあてはめると、それは就活である。始めたての3月、まだ就活の右も左もわからなかった僕にとって、何もかもが初めての経験であり、ESも面接も新鮮だった。回数を重ねて色々と選考に落ち始めた4月はまさに悪夢だった。一緒に就活をしていた友達と会うことや、気晴らしに飲み会をしまくることだけが生きがいだった。面接の後に一人で歓楽街に行き、お酒を飲んでいたこともあった。5月に差し掛かってようやく選考が絞れてきた時、まだ内定こそなかったが、ふと「終わり」が見えた。今まで自己分析や業界研究、企業研究、面接対策をしていた頃が懐かしく、眩しく見えた。朝7時から珈琲館に集まり、11時ぐらいからスロットを打ちに行き、またもカフェで対策をし、バイトをしてその後飲みに行く。今じゃ思い出の1ページ。何かに向かって一生懸命な姿は、誰だって眩しい。

決して「しっかりした人間」がするべきルーティーンのようなものではない。終わった後だって、過去は何もかも眩しい。

この日はそんなことを考えながら14時から学童のバイトへ。子供たちは違った意味で、輝かしい。とある6年生の子、5年生の子、僕の3人で、外遊びのあと、勉強をしながら恋バナ(!?)をしていた。ちなみに全員男。小学生の恋愛なんて、、とみられることも多いと思うが、実際話を聞いてみると実は奥深いものがある。今ドキみんなLINEとかしてるし。たしかに僕の小学校の頃もませているヤツは彼女がいたもんだ。モテる奴とモテない奴の差はここにあるのかもしれない。「善は急げ」だ。早めに行動しよう。

学童バイトなんて、ある種「おわり」を意識してしまえば、毎日がとてつもなく儚く感じる。急に僕がいなくなったら、みんなはどう思ってくれるのだろう。何も思わないのか、少しは悲しんでくれるのか、考えるだけキリがない。やっぱり一日一日を大切に生きることしか、僕にはできないみたいだ。

卒業式には、足を運ぼう。たとえ今6年生の君と1年半ぐらいの付き合いであっても。僕のことを少しでも覚えていてくれるなら、それはそれで嬉しい。

今日の一曲
カラーボトル/ハイホー

僕が好きな番組の一つ、「グッと!地球便」のテーマ曲。海外で暮らす日本人のために、日本の家族から海外の家族に最高の贈り物を届けようという内容(wikiより)。今でもたまに見る、笑いあり涙ありの番組。


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