違うけれど、一緒なもの。

6/15(土)
「人それぞれ」の世界だからこそ、想うことがある。

この時期に「夏祭り」と称するのは少し早とちりのような気もするが、それもまた一興、と捉えようによっては楽しいはずだ。

僕は大学生のうち3年間を大学祭実行委員会の一員として過ごした。最初は単純に「バカみたいに友達を多くつくりたい」という至極安直な目標の元入部した。バンドサークルにも入っていたので僕は大学の間、「実行委員のやつ」と「バンドやってるやつ」の2つの顔ができた。

もう僕も大学4年生になり、どちらのサークルも引退した。結果、当初の目標は予想を上回る形で大幅に達成することができた。

ある意味実行委員からの仕事からは解放されたといえる今回の夏学祭は、以前からジャーナルで記しているとおり、元実行委員の奴らと模擬店をやることになった。内容はベビーカステラ。10個300円という破格の値段。最初は借りたタコ焼き機に生地が張り付いてしまい、黒焦げのダークマターを生成してしまった。この時ばかりは皆、言うまでもなく絶望した。しかし、傾向と対策をつかんだのか2回目からは油と火加減を調整することで安定したベビーカステラを生成することができた。活動自体は最高だったがやはり模擬店は大変だ。客引きに衛生管理、キッチンの回転率、お金の計算、、、やることが多すぎてびっくりした。それでも、実行委員の後輩がなぜかかわるがわる遊びに来てくれたり、バイトと称して働いてくれたり、差し入れを持ってきてくれたりと、なかなか胸が熱くなる展開が多数あった。後輩たちの手助け無しではおそらく店は回りきらなかっただろう。結論、模擬店には「活気」と「華」が必須である。

さて、実行委員の仕事は引退したといったが、今回なぜか僕には仕事があった(!?)。それは、「花火を打ち上げる上での安全警備」である。僕の大学の夏学祭では毎回、夏といえばの花火が打ち上げられる。その上で、危険区域の封鎖、その前後で安全確認みたいなのが必要らしい。勘のいい人はわかると思うが、警備の仕事はあくまでも警備なので一人で花火を見ることになる。まあ、OBとしては当然か、、、と、自分の運命を悟った。後輩のためならと、思えた自分を少し、好きになれた。他のところを警備していたOB、OGたちは何を思っていたのだろうか。

僕が警備を担当していたのはビニールハウスとか、畑があるところ。多分農学部が使っているところだ。無数の蚊と得体のしれない虫たちと戦いながら花火を待っていると、一人の男性から声をかけられた。

「今日って、何かやってるんですか?」

驚いた。今日は学祭なのに。おそらく農学部の生徒だろう。

「今日学祭やってて、もうすぐ花火上がるんですよ。グラウンドらへんは危ないんで行かないでください」

とデキる実行委員を演じた。現役の時は全然仕事などせず遊んでいたのに。するとその生徒は

「あ、今日学祭やったんですね。花火楽しみです。」

と言って、去っていった。最初は「今日学祭って知らなかったんだ」と驚いたが、だんだん「まあそうよな」と、考えを落とし込むことができた。やはり僕らは元々学祭に関わっていたからこそ、学祭の楽しさや中身を知っているが、それに関係ない人にとってはいつ行われるかなんてのも正直知ったこっちゃないわけだ。

人それぞれに、それぞれの世界がある。でも、見ている空は皆同じ。中央の広場で夏学祭最後の演目を楽しんでいる人たちも、現役の実行委員の人たちも、学校中で警備をしている僕たちも、昼ぐらいで疲れて帰った友達も、もちろん、さっき話しかけてくれた君にも、同じ空が見えている。そして打ち上がった花火を、皆が見ている。君はあの空を見て、何を想ったのだろう。

月を見つけて月いいよねと君が言う  ぼくはこっちだからじゃあまたね

永井裕『日本の中でたのしく暮らす』より

「ぼくはこっちだからじゃあまたね」
と別れても、ずっと月は光り続ける。同じ空を見上げているから、君と同じものが見えている。みんなとはなんか違うくて、ぼくはずっとだめだと思っていたけれど、こうして同じものを君と共有することができて、ぼくは少し、安心できる。



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